
のちの聖路加国際病院理事長・日野原重明さん(当時59歳)は人質になり、金浦国際空港で釈放された。学会に向かう途中に事件に遭った日野原さんは「これからの人生は与えられた人生だから、人のために身をささげようと決心した」と解放時の心境をコメントしている。
2011年(平成23年)10月、北朝鮮在住の実行メンバー4人(国際手配中)は親族を介して日野原さんに手紙を送り、「乗客にお掛けした精神的苦痛や大きな損失に思いをいたすことがほとんどありませんでした」と謝罪し、日野原さんの100歳を祝う言葉が記されていた。
2011年(平成23年)10月、北朝鮮在住の実行メンバー4人(国際手配中)は親族を介して日野原さんに手紙を送り、「乗客にお掛けした精神的苦痛や大きな損失に思いをいたすことがほとんどありませんでした」と謝罪し、日野原さんの100歳を祝う言葉が記されていた。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)
犯人グループは北朝鮮への亡命を要求し、よど号は板付と金浦国際空港(韓国)を経由して北朝鮮の美林飛行場に到着した。