
ジョン・フォン・ノイマン
1932年(昭和7年)、ハンガリー生まれのアメリカの数学者ジョン・フォン・ノイマンは、『量子力学の数学的基礎』を発刊し、ノイマン環と呼ばれる方程式群により、ハイゼンベルクによる行列力学とシュレディンガーによる波動力学を抽象ヒルベルト空間のクラスに帰属する理論として統一し、量子力学の数学的定式化をはかった。

ダフィット・ヒルベルト
ノイマンは、1903年(明治36年)、ブタペストでユダヤ系ドイツ人の両親のもとに生まれる。両親は熱心なユダヤ教徒というわけではなかったが、幼い頃から英才教育を受け、ラテン語とギリシャ語を扱え、8桁の掛け算を解いてみせた。
10歳になり、ギムナジウム・ルーテル校へ進学すると、数学の才能を開花。大学を卒業すると、「現代数学の父」と呼ばれるダフィット・ヒルベルトがゲッチンゲン大学に招聘した。
10歳になり、ギムナジウム・ルーテル校へ進学すると、数学の才能を開花。大学を卒業すると、「現代数学の父」と呼ばれるダフィット・ヒルベルトがゲッチンゲン大学に招聘した。

ヴェルナー・ハイゼンベルク
ここで、ノイマンよりも2歳年上の私講師ヴェルナー・ハイゼンベルクに出会う。量子力学に対し、ハイゼンベルクが行列力学で問題を解いてみせると、エルヴィン・シュレーディンガーは波動方程式を使って問題を解いて見せた。
1930年(昭和5年)、アインシュタインがいるアメリカのプリンストン高等研究所の所員として招かれ、その後、原爆開発をはじめとする兵器開発に貢献。世界最初のコンピュータ ENIAC の開発を支援し、ノイマン型アーキテクチャを考案した。コンピュータによる天気予報や、ゲーム理論を発展させた経済理論など、多方面に大きな足跡を残したが、1957年(昭和32年)、53歳の若さで死去。死因は、原爆実験の放射線によるガンだった。
1930年(昭和5年)、アインシュタインがいるアメリカのプリンストン高等研究所の所員として招かれ、その後、原爆開発をはじめとする兵器開発に貢献。世界最初のコンピュータ ENIAC の開発を支援し、ノイマン型アーキテクチャを考案した。コンピュータによる天気予報や、ゲーム理論を発展させた経済理論など、多方面に大きな足跡を残したが、1957年(昭和32年)、53歳の若さで死去。死因は、原爆実験の放射線によるガンだった。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)