
時計の心臓部である振動子は、それが正確な振動を刻むものであれば、振動数が高ければ高いほどより正確な時刻を刻むことができる。
1950年代後半、スイスの物理学者マックス・ヘッツェルは、発明されたばかりのトランジスタと1秒間に360回振動する金属音叉を組み合わせ、月差1分以内の腕時計「アキュトロン」を完成させる。当時の機械式時計は、どんな高級品でも月差2分の誤差が生じていた。

これより少し前、水晶は圧電効果によって高い振動が得られることが発見されていた。
アキュトロンを超える時計の開発を目指していた精工舎は、1959年(昭和34年)、中部日本放送に商業用水晶時計を納入した。水晶の振動子は4.8MHzで、文集回路に真空管を採用したため、60℃を保つ恒温槽に入れる必要があり、時計のサイズはロッカーより大きいものとなった。

水晶発振器に、温度変化による水晶振動子の振動のズレを補正するために、温度特性の異なる金属を張り合わせたバイイメタルを仕込んだことで、恒温槽が必要なくなった。
分周回路にICが利用できれば、部品点数や消費電力を抑えることができる。そこで、諏訪精工舎はCMOS-ICの独自開発に着手するが、クオーツアストロンの発売に間に合わせることができず、代わりに、熟練工が厚さ0.25ミリのセラミック基板に、76個のトランジスタを含む189個の素子をハンダ付けするハイブリッドICを開発した。
さらに、秒針の動きを1秒に1回だけ動かす超小型ステッピングモータを開発し、ボタン型銀電池1個で1年稼動するようにしてみせた。

セイコーは、ステップモーターに関する特許を有償で世界中の時計メーカーに公開することで、クオーツ時代を牽引した。
この業績がIEEE(米国電気電子学会)に認められ、クオーツアストロンは、革新企業賞(2002年)とマイルストーン賞(2004年)をダブル受賞した。また、米国スミソニアン博物館に永久展示され、2014年(平成26年)には日本の機械遺産に認定されている。

ちなみに、パパぱふぅが電子工作を始めた1970代後半、まだ水晶発振子は高価で、AC電源の周波数(50/60Hz)をトランジスタで分周する電気時計を作ったことがある。当時は、電気時計の誤差より、停電リスクの方が大きかった。
1980年代に入ると、水晶発振子やCMOS-LSIが手頃な価格になり、LCDも入手できるようになり、電池で動く時計を自作できるようになった。
1950年代後半、スイスの物理学者マックス・ヘッツェルは、発明されたばかりのトランジスタと1秒間に360回振動する金属音叉を組み合わせ、月差1分以内の腕時計「アキュトロン」を完成させる。当時の機械式時計は、どんな高級品でも月差2分の誤差が生じていた。

これより少し前、水晶は圧電効果によって高い振動が得られることが発見されていた。
アキュトロンを超える時計の開発を目指していた精工舎は、1959年(昭和34年)、中部日本放送に商業用水晶時計を納入した。水晶の振動子は4.8MHzで、文集回路に真空管を採用したため、60℃を保つ恒温槽に入れる必要があり、時計のサイズはロッカーより大きいものとなった。

水晶発振器に、温度変化による水晶振動子の振動のズレを補正するために、温度特性の異なる金属を張り合わせたバイイメタルを仕込んだことで、恒温槽が必要なくなった。
分周回路にICが利用できれば、部品点数や消費電力を抑えることができる。そこで、諏訪精工舎はCMOS-ICの独自開発に着手するが、クオーツアストロンの発売に間に合わせることができず、代わりに、熟練工が厚さ0.25ミリのセラミック基板に、76個のトランジスタを含む189個の素子をハンダ付けするハイブリッドICを開発した。
さらに、秒針の動きを1秒に1回だけ動かす超小型ステッピングモータを開発し、ボタン型銀電池1個で1年稼動するようにしてみせた。

セイコーは、ステップモーターに関する特許を有償で世界中の時計メーカーに公開することで、クオーツ時代を牽引した。
この業績がIEEE(米国電気電子学会)に認められ、クオーツアストロンは、革新企業賞(2002年)とマイルストーン賞(2004年)をダブル受賞した。また、米国スミソニアン博物館に永久展示され、2014年(平成26年)には日本の機械遺産に認定されている。

ちなみに、パパぱふぅが電子工作を始めた1970代後半、まだ水晶発振子は高価で、AC電源の周波数(50/60Hz)をトランジスタで分周する電気時計を作ったことがある。当時は、電気時計の誤差より、停電リスクの方が大きかった。
1980年代に入ると、水晶発振子やCMOS-LSIが手頃な価格になり、LCDも入手できるようになり、電池で動く時計を自作できるようになった。
この時代の世界
参考書籍
参考サイト
- セイコークオーツアストロン 35SQ:セイコーエプソン
(この項おわり)
18金製で、月差±5秒以下。定価は45万円で、当時の国民車「カローラ」の44万円より高価であった。