
ヨーロッパの電信機が伝わったのは、1853年(嘉永6年)のことで、黒船で来航したペリーが幕府に献上したものであった。この電信機を13代将軍・徳川家定の前で実験したのが、勝海舟と小田又蔵である。

1866年(慶応2年)、福沢諭吉が「西洋事情」で電信を「其の神速なること、千万里と雖も一瞬に達す」紹介し(当時は「伝信」と表記)、一般市民も電信の存在を知ることになる。
「西洋事情」の扉絵に電信が描かれているが、現代のインターネットを彷彿とさせるような絵図である。

そして、1869年(明治2年)、東京-横浜間の電信線架設工事がはじまる。東京の築地運上所(税関)から横浜裁判所まで、約32kmに電柱593本を立て、初めて電信が実用化された。

その後、1870年(明治3年)に大阪-神戸、1873年(明治6年)に東京-長崎、1874年(明治7年)に東京-青森、1875年(明治8年)には青森-函館間が開通し、明治維新後10年もたたずに日本縦断の電信網が完成する。

1950年(昭和25年)、電気通信省(現NTT)は、電信線の工事が始まった10月23日を「電信電話記念日」に制定した。

1866年(慶応2年)、福沢諭吉が「西洋事情」で電信を「其の神速なること、千万里と雖も一瞬に達す」紹介し(当時は「伝信」と表記)、一般市民も電信の存在を知ることになる。
「西洋事情」の扉絵に電信が描かれているが、現代のインターネットを彷彿とさせるような絵図である。

そして、1869年(明治2年)、東京-横浜間の電信線架設工事がはじまる。東京の築地運上所(税関)から横浜裁判所まで、約32kmに電柱593本を立て、初めて電信が実用化された。

その後、1870年(明治3年)に大阪-神戸、1873年(明治6年)に東京-長崎、1874年(明治7年)に東京-青森、1875年(明治8年)には青森-函館間が開通し、明治維新後10年もたたずに日本縦断の電信網が完成する。

1950年(昭和25年)、電気通信省(現NTT)は、電信線の工事が始まった10月23日を「電信電話記念日」に制定した。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)
電信の実験は18世紀半ばのヨーロッパで始まった。
1832年(天保2年)、ロシアのパヴェル・シリングが電磁石を利用した電信機を完成。1835年(天保5年)には、ジョセフ・ヘンリーがリレーを発明し、長導線上の弱電流でも強力な電磁石を制御できるようになった。
そして1837年(天保7年)、モールスは電磁石を応用した電信機を発明、電信機及び電信符号のアイデアを特許出願した。
1849年(嘉永2年)、松代藩士の佐久間象山は、オランダ語の文献を元に電信機を作成。70mほどの通信実験を行った。