
使節団の主なメンバーは、特命全権大使の岩倉具視(右大臣・公家出身)、副使の木戸孝允(参議・長州藩出身)、大久保利通(大蔵卿・薩摩藩出身)、伊藤博文(工部大輔・長州藩出身)、山口尚芳(外務少輔・肥前藩出身)である。
この他、フランスに留学して1874年(明治7年)に帰国、東洋のルソーと呼ばれるようになる思想家の中江兆民や、一行の最年少(6歳)ながらアメリカに留学し、日本の女子教育の先駆者となる津田梅子らも同船していた。

一行は太平洋を横断し、1872年1月15日(明治4年12月6日)にサンフランシスコに入港する。
アメリカに半年ほど滞在し、津田梅子らアメリカ留学生を現地に残し、1872年8月6日(明治5年7月3日)、ボストンンからヨーロッパへ向かう。
イギリス、フランス、スイス、ベルギー、デンマーク、ドイツ、ロシア、オランダ、スウェーデン、イタリア、オーストリアを歴訪し、1873年(明治6年)9月13日に帰国した。
この他、フランスに留学して1874年(明治7年)に帰国、東洋のルソーと呼ばれるようになる思想家の中江兆民や、一行の最年少(6歳)ながらアメリカに留学し、日本の女子教育の先駆者となる津田梅子らも同船していた。

一行は太平洋を横断し、1872年1月15日(明治4年12月6日)にサンフランシスコに入港する。
アメリカに半年ほど滞在し、津田梅子らアメリカ留学生を現地に残し、1872年8月6日(明治5年7月3日)、ボストンンからヨーロッパへ向かう。
イギリス、フランス、スイス、ベルギー、デンマーク、ドイツ、ロシア、オランダ、スウェーデン、イタリア、オーストリアを歴訪し、1873年(明治6年)9月13日に帰国した。
この時代の世界
参考サイト
- インターネット特別展 公文書に見る岩倉使節団:国立公文書館
- 特命全権大使米欧回覧実記:国立国会図書館
(この項おわり)
政府のトップや留学生を含む総勢107名からなる大規模な使節団で、幕末に不平等条約を結んだ各国を訪問し、その改正のための予備交渉や西洋文明の視察を行った。