アムンゼン
フラム号
道中には周到に補給基地を設け、位置を見失わぬよう黒旗を多数立てるなど、帰路まで見据えた安全策を重ねた。
1911年(明治44年)10月、アムンゼン隊は5人編成で出発し、犬ぞりとスキーを駆使して氷床を進んだ。未知の山脈を越える必要があったが、彼らは後にアクセル・ハイベルグ氷河と名付けられるルートを発見し、内陸高原へと到達した。
1911年(明治44年)10月、アムンゼン隊は5人編成で出発し、犬ぞりとスキーを駆使して氷床を進んだ。未知の山脈を越える必要があったが、彼らは後にアクセル・ハイベルグ氷河と名付けられるルートを発見し、内陸高原へと到達した。
南極点に到達したアムンゼン隊
標高上昇による寒冷と疲労は過酷であったが、行動計画は厳密で、犬の数や食糧消費も計算に入れられていた。南極点到達後、彼らはテントを設営し、ノルウェー国旗を掲げ、到達を証明する書簡を残した。帰路も補給基地が有効に機能し、1912年(明治45年)1月に全員が無事拠点へ帰還している。
ロバート・スコット
この探検は、イギリスの軍人ロバート・スコットが率いる探検隊との事実上の競争でもあった。
スコット隊は同時期に南極点を目指していたが、彼らは人力や馬、補助的に犬を用いる混成方式を採用し、補給や行程管理に困難を抱えた。1912年(明治45年)1月、スコット隊は南極点に到達したものの、そこにはすでにアムンゼンのテントと国旗があった。失意の帰路でスコット隊は全滅し、この対比は準備と戦略の差を歴史に強く刻むこととなった。
スコット隊は同時期に南極点を目指していたが、彼らは人力や馬、補助的に犬を用いる混成方式を採用し、補給や行程管理に困難を抱えた。1912年(明治45年)1月、スコット隊は南極点に到達したものの、そこにはすでにアムンゼンのテントと国旗があった。失意の帰路でスコット隊は全滅し、この対比は準備と戦略の差を歴史に強く刻むこととなった。
アムンゼンの南極点到達の歴史的意義は、人類が地球最後の空白地帯の一つを初めて踏破した点にあるだけでなく、科学探検における計画性、環境適応、技術選択の重要性を示したことにある。彼の成功は勇気だけでなく、現地条件を尊重した実践的判断の積み重ねによって達成されたものであり、以後の極地探検や探査活動の模範となったのである。

アムンゼンの南極点到達100周年を記念し、ノルウェーのストルテンベルグ首相が2011年(平成23年)12月12日、南極点を訪れた。14日には、当時と同じルートで南極点を目指しているノルウェーの探検隊を出迎えることになっている。
アムンゼンの南極点到達100周年を記念し、ノルウェーのストルテンベルグ首相が2011年(平成23年)12月12日、南極点を訪れた。14日には、当時と同じルートで南極点を目指しているノルウェーの探検隊を出迎えることになっている。
参考書籍
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アムンセンとスコット―南極点への到達に賭ける | ||
| 著者 | 本多勝一 | ||
| 出版社 | ニュ-トンプレス | ||
| サイズ | 単行本 | ||
| 発売日 | 1986年07月 | ||
| 価格 | 1,644円(税込) | ||
| ISBN | 9784315503746 | ||
| 栄光と悲劇。二つの個性が演じた史上最大の冒険レース。厳寒の地南極を舞台に探検とは、冒険とは何かを問う。 | |||
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南極点征服 | ||
| 著者 | ロアルト・アムンセン/谷口善也 | ||
| 出版社 | 中央公論新社 | ||
| サイズ | 文庫 | ||
| 発売日 | 2002年12月 | ||
| 価格 | 880円(税込) | ||
| ISBN | 9784122041424 | ||
| 二十世紀初頭に繰り広げられた南極点到達競争において、英国のスコット隊に先んじ南極点初到達の栄光を手にしたノルウェーのアムンゼン自らが著した南極探検の記録。犬ゾリを駆り鉄の意志のもと極点へと突進する探検隊の姿が活写される。 | |||
この時代の世界
(この項おわり)


アムンゼンの南極探検計画は、徹底した準備と合理主義に貫かれていた。当初、彼は北極点を目指していたが、1909年(明治42年)にロバート・ピアリーによる北極点到達の知らせを知ると、計画を極秘裏に変更し、南極点へと目標を転じた。
探検隊は1910年(明治43年)に、フラム号で南極へ向かい、ロス海の鯨湾に拠点フラムハイムを設営した。彼は南極点への最短距離を選び、犬ぞりを主力とする輸送方式を採用した点に大きな特徴がある。