
セブン-イレブン豊洲店(開店時)
高度経済成長期の1970年代、小売業界ではスーパーの躍進が目覚ましい中、イトーヨーカ堂は業界17位と低迷していた。会社として初めて短大卒で採用した清水秀雄を選び、新規事業の開発を命じた。
しかし、若くして要職に就いた清水のことをよく思わない社員も多く、清水は組織の体質に疑問を感じていた鈴木敏文とともにアメリカへ事業のヒントを探す旅に出た。ある日、長距離バスを降りたところに、多くの客が出入りする商店を見つけた。それがセブンイレブンだった。
2人はテキサス州の本社サウスランド・カンパニーに向かい、100を超えるマニュアルが事業の核だと知った。1973年(昭和48年)11月、高価なライセンス契約を結んだ。
しかし、イトーヨーカ堂社内での立場は依然として悪く、社員や店舗を公募するしかなかった。集まった15人の社員は、元自衛官やパン屋など、素人の寄せ集めだった。さらに悪いことに、石油ショックに見舞われ、コンビニ事業は絶望的になった。

そんな中、豊洲で酒屋を営んでいた山本憲司がフランチャイズに応募した。銀行から借り入れを行い、2000万円をかけて店舗を改装し、1974年(昭和49年)5月15日、セブン-イレブン1号「豊洲店」がオープンした。
初日こそ酒屋時代の2倍の売上を叩き出したが、電気代やアルバイト代、本部へのロイヤリティを差し引くと、利益は酒屋時代と変わらなかった。さらに、コンビニは豊富な品揃えを確保するために、多くの在庫を抱え、品切れした商品を仕入れることができなかった。
コンピュータがない時代、社員は毎日手作業で、売れる商品と売れない商品を集計し、徹底的に商品を選別することで、新たなマニュアルを作っていった。鈴木は、豊洲店の周辺に集中して店舗をオープンし、複数の店舗で発注をまとめられるようにしようと考えた。
1975年(昭和50年)夏に、各店舗への小分け配送が始まり、店舗在庫は見る間に減り、利益は改善した。

1975年(昭和50年)6月、 福島県郡山市虎丸町の虎丸店で初めて24時間営業を開始した。
1976年(昭和51年)5月、日本国内出店数100店舗を達成した。9月には、流通業界の常識を打ち破り、共同配送をはじめた。
1978年(昭和53年)、おにぎりの販売を始める。
1979年(昭和54年)、Kマートを抜いてコンビニ業界1位に躍り出た。
1980年(昭和55年)11月、日本国内出店数1,000店舗を達成する。
1982年(昭和57年)10月、POSシステムを導入した。
1991年(平成3年)3月、放漫経営により再建不可能な状態に陥っていたサウスランド・コーポレーションを、イトーヨーカ堂と共同で約7割の株式を取得し経営はV字回復。戦後最大の再建劇と呼ばれた。
しかし、若くして要職に就いた清水のことをよく思わない社員も多く、清水は組織の体質に疑問を感じていた鈴木敏文とともにアメリカへ事業のヒントを探す旅に出た。ある日、長距離バスを降りたところに、多くの客が出入りする商店を見つけた。それがセブンイレブンだった。
2人はテキサス州の本社サウスランド・カンパニーに向かい、100を超えるマニュアルが事業の核だと知った。1973年(昭和48年)11月、高価なライセンス契約を結んだ。
しかし、イトーヨーカ堂社内での立場は依然として悪く、社員や店舗を公募するしかなかった。集まった15人の社員は、元自衛官やパン屋など、素人の寄せ集めだった。さらに悪いことに、石油ショックに見舞われ、コンビニ事業は絶望的になった。

そんな中、豊洲で酒屋を営んでいた山本憲司がフランチャイズに応募した。銀行から借り入れを行い、2000万円をかけて店舗を改装し、1974年(昭和49年)5月15日、セブン-イレブン1号「豊洲店」がオープンした。
初日こそ酒屋時代の2倍の売上を叩き出したが、電気代やアルバイト代、本部へのロイヤリティを差し引くと、利益は酒屋時代と変わらなかった。さらに、コンビニは豊富な品揃えを確保するために、多くの在庫を抱え、品切れした商品を仕入れることができなかった。
コンピュータがない時代、社員は毎日手作業で、売れる商品と売れない商品を集計し、徹底的に商品を選別することで、新たなマニュアルを作っていった。鈴木は、豊洲店の周辺に集中して店舗をオープンし、複数の店舗で発注をまとめられるようにしようと考えた。
1975年(昭和50年)夏に、各店舗への小分け配送が始まり、店舗在庫は見る間に減り、利益は改善した。

1975年(昭和50年)6月、 福島県郡山市虎丸町の虎丸店で初めて24時間営業を開始した。
1976年(昭和51年)5月、日本国内出店数100店舗を達成した。9月には、流通業界の常識を打ち破り、共同配送をはじめた。
1978年(昭和53年)、おにぎりの販売を始める。
1979年(昭和54年)、Kマートを抜いてコンビニ業界1位に躍り出た。
1980年(昭和55年)11月、日本国内出店数1,000店舗を達成する。
1982年(昭和57年)10月、POSシステムを導入した。
1991年(平成3年)3月、放漫経営により再建不可能な状態に陥っていたサウスランド・コーポレーションを、イトーヨーカ堂と共同で約7割の株式を取得し経営はV字回復。戦後最大の再建劇と呼ばれた。
参考サイト
- セブン-イレブン・ジャパンの歴史:セブン-イレブン・ジャパン
- あなたにとってセブン-イレブンとは?「-青春ですね」山本 憲司:セブン-イレブン
この時代の世界
(この項おわり)
当初はコンビニの定義が曖昧であったため、日本最初のコンビニは、1969年(昭和44年)に大阪府に開店した「マミー豊中店」と言われることもあり、現在も北海道で絶大な人気を誇るセイコーマートも店舗展開を開始していた。