
事件前に訪問した長崎でのニコライ皇太子
1891年(明治24年)5月11日、訪日中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現・大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷するという暗殺未遂事件が起きる。大津事件である。
1891年(明治24年)4月27日、ニコライを乗せたアゾヴァ号を中心とするロシア艦隊が長崎港へ入港した。
5月11日、ニコライは大津へ向かい、京町通で事件が起きた。

5月13日、伊藤博文と明治天皇が相次いで、京都の常磐ホテルに滞在するニコライを見舞った。

伊藤らは大審院で津田に対して皇室罪を適用するように圧力をかけるが、大審院はこれに屈せず、京都地裁で無期刑の判決を下す。
これは日本の法制度が整っていることを海外にアピールするきっかけともなった。
5月11日、ニコライは大津へ向かい、京町通で事件が起きた。

5月13日、伊藤博文と明治天皇が相次いで、京都の常磐ホテルに滞在するニコライを見舞った。

伊藤らは大審院で津田に対して皇室罪を適用するように圧力をかけるが、大審院はこれに屈せず、京都地裁で無期刑の判決を下す。
これは日本の法制度が整っていることを海外にアピールするきっかけともなった。
この時代の世界
参考書籍
![]() |
大津事件手記 | ||
著者 | 児島惟謙/山川雄巳 | ||
出版社 | 関西大学出版部 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2003年05月 | ||
価格 | 3,630円(税込) | ||
ISBN | 9784873543758 | ||
一八九一年(明治二十四年)五月、日本訪問中のロシア皇太子・ニコライ親王が、滋賀県の大津で、警護巡査・津田三蔵に斬りつけられ負傷した大津事件は、日露関係史上の重大事件であったが、その裁判も、司法権独立の根幹にかかわる歴史的な重大裁判となった。この時期、大審院長(最高裁判所長官)であった児島惟謙は、政府の執拗な裁判干渉から司法権の独立を守ろうとして苦闘したが、裁判のあと、当時の状況と自分の行動についての詳しい記録を作成した。本書は、東京・児島家に伝わる、児島惟謙の大津事件手記を活字化したものである。 | |||
事件現場付近の地図

(この項おわり)