西暦1895年 - X線発見/『火星』/無線通信/世界初の映画

第1回ノーベル物理学賞/火星人騒動のはじまり

目次

X線の発見

1896年1月23日にレントゲンが撮ったAlfred von Kollikerの手のX線写真
1895年11月8日、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・コンラート・レントゲンは、クルックス管を用いて陰極線の研究をしていたところ、机の上の蛍光紙の上に暗い線が表れたのに気付いた。クルックス管は黒いボール紙で覆われており既知の光は遮蔽されていたが、目には見えない光のようなものが装置からでていることを発見した。

実験によって、この光は分厚い本や金属も透過するが、鉛には遮蔽されることが分かった。
光のようなものは電磁波であり、この電磁波は陰極線のように磁気を受けても曲がらないことから放射線の存在を確信し、仮の名前として「X線」と名付けた。

この功績により、1901年、レントゲンは第1回ノーベル物理学賞を受賞した。
レントゲンは、物質の比熱の測定、電流の識別、流体の屈折率と圧力の関係、気体の熱容量、偏光に及ぼす電磁気的作用、毛管現象、油滴の拡散、放電管を用いた陰極線の特性など当時の標準的な研究を手広く行っていた。それらについて発表された論文は48編を数えるが、いまとなっては歴史に残るほどのものはひとつもない。
ところが1985年11月、「放電管を用いた陰極線の特性」の実験で偶然発見したものを伝えた49番目の論文が、彼の人生と物理学の歴史を大きく返ることになる。X線の発見である。
これを引き金として、ラジウムやポロニウムなどの放射性元素と、それらが放出する3種の放射線が連鎖反応的に発見され,物理学の関心はいっきに原子、電子、原子核といったミクロの世界へ突入していくことになる。
レントゲンは第一報の終わりでX線の正体について、当時、宇宙空間に充満し光を伝える担い手とみなされていた仮想媒質「エーテル」の縦振動ではないかと予測を述べている。ドイツのラウエらが結晶による回折実験から、X線が短波長の電磁波であることが突き止められたのは1912年のことである。

ところが、レントゲン自身は1897年、「X線の特性に関するさらなる観測」と題する論文をもう1本書いただけでX線の研究から手を引いてしまった。特許をとることもなかった。彼がX線研究に携わったのはわずか2年足らずであった。
その後は再び、それまで行っていた実験に戻ってしまったのである。X線から離れたレントゲンが何をなしたのか、いまとなっては知る人はほとんどいない。なぜレントゲンは物理学の一大フィーバーから身を引いて変凡な実験世界に戻ってしまったのか、いまとなってはだれも知る者がいない。

火星の運河

ローウェルが“観測”した火星の運河
ローウェルが“観測”した火星の運河
イタリア王国のミラノ天文台長ジョヴァンニ・スキアパレッリは、1877年の火星大接近の際に口径22cm屈折望遠鏡で観測し、火星全体の表面に線状模様があることを発見した。このとき Canali(イタリア語で「溝・水路」の意)と記述したものを、英語に翻訳された際 Canal(英語で「運河」の意)と誤訳され、火星に運河があると言われるようになった。
パーシヴァル・ローウェル
パーシヴァル・ローウェル
1893年、火星観測のために私設天文台を建設したアメリカのパーシヴァル・ローウェルは、1895年に『火星』を著し、火星には火星人が住んでおり運河を建設していることを主張した。

ローウェルは、1881年から1882年にかけ、大森貝塚を発見したモースが行った日本についての連続講演を聴講した。翌年、28歳のローウェルは日本へ向かう。それから1893年までの間、のべ3年間にわたって日本に滞在し、異文化の観察を行った。
ローウェル天文台
ローウェル天文台
その体験を綴った『極東の魂』に、ローウェルの目に映った珍奇な日本人の姿が綴られている。日本人は物事すべてを逆様に見る倒立した世界に住んでいるというのだ。たとえば、言葉の順序を逆にしてしゃべる、筆を右から左に動かす、本を最後のページから読む、濡れた傘を柄の方を下にして立てかける、マッチを内側に向けて擦る‥‥確かに欧米とは逆ではあるが、まるで異星人に出くわしたかのような紹介の仕方はいかがなものか。
そんなローウェルは、1893年、アメリカに帰国すると、施設天文台の建設に取りかかる。今度のターゲットは火星だ。
1895年の著作『火星』では、早くも火星に運河があることを報告している。火星の重力は地球の0.38倍しかないため、火星人は人類のほぼ3倍の大きさをした巨人であろうと述べている。
想像力のたくましい人物だったようである。
H.G.ウェルズの火星人
H.G.ウェルズの火星人
1898年、イギリスのSF作家 H.G.ウェルズが『宇宙戦争』を出版し、そこに登場するタコのような火星人のイメージが世間に定着した。
1938年10月30日、アメリカのCBSネットワーク「マーキュリー劇場」で宇宙戦争のラジオドラマが放送されパニックになったとされているが、実際にはパニックはなく、新興メディアであるラジオを規制するために新聞各社がブラフ記事を掲載したのが真相のようである。

無線通信の発明

マルコーニ
マルコーニ
1895年、イタリアのマルコーニは、自宅の屋根裏で装置を自作し、無線通信の実験を始めた。マルコーニが作った装置は、それまでに多くの技術者が開発してきた成果を組み合わせたものだった。伝聞にはモールス符号を用いた。
その夏、実験の場を外に移し、1kmの距離を送信できるようになった。
1901年12月には、カナダとイギリスの間で大西洋を横断する無線通信に成功した。
マルコーニはイタリアの地主の家に生まれ、何不自由のない生活を送っていたが、学校へは行かなかった。14歳の時にたまたま科学雑誌に載っていたヘルツの電磁波の記事に興味を示し、電線が無くても通信ができるのではないかと考えたという。そして、家庭教師だったボローニャ大学のリーギ教授の師事を受け、無線通信装置を作ることになる。

1872年、マルコーニ無線電信会社を設立した。
無線通信の特許権を巡るいざこざはあったものの、1914年に元老議員となり、第一次大戦ではイタリア軍の無線通信部門の責任者となり、最終的に海軍司令官となった。1924年、講釈に叙勲された。
19123年、ファシスト党に参加。1930年にはムッソリーニの命で、イタリア王立アカデミー会長に就任した。

世界初の映画「工場の出口」上映

1895年12月28日、パリで「工場の出口」と呼ばれる世界初の無声映画が上映される。工場から出てくる人たちの様子を映した46秒の短編映画である。
撮影したのは、フランス人のオーギュスト・リュミエールとルイ・リュミエールのリュミエール兄弟である。
シネマトグラフ
シネマトグラフ
リュミエール兄弟は、1台で撮影・映写・現像を行うことができるシネマトグラフを開発した。35ミリ・フィルムで、画面アスペクト比は1.33:1。毎秒16フレーム。電気は必要なく手動でクランクを回し、重量は5kgと軽かったことから、世界各地で撮影ができるようになった。
兄弟はリュミエール協会を立ち上げ、世界中にカメラマンを派遣した。日本を含む世界各地の最初期の映像を多く残した。
その後、兄弟はシネマトグラフの特許を売却したが、この活動に刺激を受けたエジソンが劇場用映画制作に乗り出す。

1907年、兄弟は1枚の乾板で三原色を撮影できるカラー写真「オートクローム」を発売する。

この時代の世界

1775 1825 1875 1925 1975 1800 1800 1800 1800 1800 1800 1800 1800 1800 1800 1800 1800 1900 1900 1900 1900 1900 1900 1900 1900 1900 1900 1900 1900 1895 X線の発見 1845 1923 レントゲン 1895 ローウェル『火星』出版 1897 H.G.ウェルズ『宇宙戦争』出版 1895 無線通信の実験 1874 1937 マルコーニ 1894 j1894-we.xml コヒーラー検波器の発明 1851 1940 オリバー・ロッジ 1895 世界初の映画『工場の出口』公開 1862 1954 オーギュスト・リュミエール 1864 1948 ルイ・リュミエール 1876 電話の発明 1847 1922 グラハム・ベル 1847 1931 エジソン 1851 1929 ベルリナー 1856 1939 ジークムント・フロイト 1875 1945 ゼボッテンドルフ男爵 1861 1925 ルドルフ・シュタイナー 1859 1930 アーサー・コナン・ドイル 1887 シャーロック・ホームズ登場 1888 切り裂きジャック 1872 「80日間世界一周」の出版 1828 1905 ジュール・ヴェルヌ 1898 ラジウムの発見 1896 近代オリンピックはじまる 1863 1937 クーベルタン男爵 1831 1888 フリードリヒ3世 1815 1898 ビスマルク 1885 狂犬病ワクチンの開発 1889 パリ万国博覧会 1819 1901 ヴィクトリア女王 1809 1898 グラッドストン 1820 1910 ナイチンゲール 1898 ファショダ事件 1870 1937 アルフレッド・アドラー 1905 第一次モロッコ事件 1905 「特殊相対性理論」の発表 1874 1939 ハワード・カーター 1909 北極点に史上初めて到達 1911 第二次モロッコ事件 1911 南極点に史上初めて到達 1900 北清事変 1833 1896 ノーベル 1871 ドイツ帝国の成立 1880 白熱電球の商用化 1891 魔法瓶の発明 1894 ドレフュス事件 1859 1935 アルフレド・ドレフュス 1894 露仏同盟 1895 三国干渉 1911 南極点に史上初めて到達 1872 1928 アムンゼン 1911 j1911-ne.xml 南極点に史上初めて到達 1912 ストックホルムオリンピック大会 1867 1934 マリー・キュリー 1830 1916 フランツ・ヨーゼフ1世 1863 1914 フランツ・フェルディナント 1855 1916 ローウェル 1866 1946 H.G.ウェルズ 1876 電話の発明 1847 1931 エジソン 1875 神智学協会の設立 1831 1891 ブラヴァツキー 1832 1907 ヘンリー・オルコット 1909 北極点に史上初めて到達 1872 1933 カルビン・クーリッジ 1898 米西戦争 1903 人類初の動力飛行に成功 1867 1912 ウィルバー・ライト 1871 1948 オービル・ライト 1878 1930 カーチス 1866 1936 アン・サリヴァン 1868 1938 ジョージ・ヘール 1838 1923 モーリー 1887 マイケルソン=モーリーの実験 1900 北清事変 1869 日本初の電信線架設工事始まる 1890 日本初の電話 1877 西南戦争 1901 八幡製鉄所が操業開始 1904 1905 日露戦争 1891 大津事件 1855 1891 津田三蔵 1890 第1回総選挙 1885 内閣誕生 1841 1909 伊藤博文 1890 エルトゥールル号遭難事件 1886 ノルマントン号事件 1890 教育勅語の発布 1844 1897 陸奥宗光 1884 秩父事件 1881 1884 自由党 1882 1896 立憲改進党 1883 鹿鳴館がオープン 1835 1915 井上馨 1873 三菱商会の誕生 1834 1885 岩崎弥太郎 1834 1901 福沢諭吉 1836 1908 榎本武揚 1901 田中正造が天皇に直訴 1841 1913 田中正造 1847 1913 桂太郎 1872 1896 樋口一葉 1867 1902 正岡子規 1867 1916 夏目漱石 1871 1911 幸徳秋水 1886 1912 石川啄木 1898 雑誌「ホトトギス」誕生 1900 雑誌「明星」創刊 1873 1935 与謝野鉄幹 1867 1930 豊田佐吉 1878 1933 吉野作造 1906 満鉄の開業 1867 1947 幸田露伴 1837 1913 徳川慶喜 1852 1912 明治天皇 1849 1914 昭憲皇太后 1909 伊藤博文の暗殺 1838 1911 トーマス・グラバー 1904 1905 日露戦争 1868 1918 ニコライ2世 1872 1916 ラスプーチン 1905 血の日曜日事件 1877 1878 露土戦争 1828 1910 トルストイ 1900 北清事変 1906 満鉄の開業 1909 伊藤博文の暗殺 1835 1908 西太后 1859 1916 袁世凱 1871 1908 光緒帝 1866 1925 孫文 1900 1901 義和団の乱 1911 辛亥革命 1853 1910 ラーマ5世 1877 1878 露土戦争 1881 1938 ムスタファ・ケマル 1869 スエズ運河開通 1898 米西戦争 1898 ファショダ事件 1905 第一次モロッコ事件 1911 第二次モロッコ事件 Tooltip

参考書籍

表紙 科学史人物事典
著者 小山慶太
出版社 中央公論新社
サイズ 新書
発売日 2013年02月
価格 1,012円(税込)
ISBN 9784121022042
十六世紀のコペルニクスから現代の先端科学まで、160人以上の科学者を選び、業績だけでなく、当時の世相や科学者たちの素顔も紹介。読んで楽しい人物事典。
 
表紙 宇宙戦争
著者 ハーバート・ジョージ・ウェルズ/中村融
出版社 東京創元社
サイズ 文庫
発売日 2005年05月
価格 770円(税込)
ISBN 9784488607081
謎を秘めて妖しく輝く火星に、ガス状の大爆発が観測された。これこそ6年後に地球を震撼させる大事件の前触れだった。ある晩、人々は夜空を切り裂く流星を目撃する。だがそれは単なる流星ではなかった。巨大な穴を穿って落下した物体から現れたのは、V字形にえぐれた口と巨大なふたつの目、不気味な触手をもつ奇怪な生物ー想像を絶する火星人の地球侵略がはじまったのだ。
 
(この項おわり)
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