
北里柴三郎
1886年から6年間、ドイツに留学し、細菌学の父とうたわれるロベルト・コッホに師事し、1889年に破傷風菌の純粋培養に成功する。

1892年10月に帰国し、福澤諭吉らの援助により芝公園内に設立された伝染病研究所の所長となり、伝染病予防と細菌学の研究に取り組んだ。
1894年には香港で蔓延したペストの原因調査のため現地に赴き、ペスト菌を発見する。

1914年に伝染病研究所が内務省から文部省に移管されたこと機に、所長を辞任し、あらたな医学研究機関「北里研究所」を創設した。
1917年に慶應義塾大学医学科を創設し、初代医学科長に就任する。
1923年に医師会令の法案成立を受けて日本医師会を創設し、初代会長に就任する。

1892年10月に帰国し、福澤諭吉らの援助により芝公園内に設立された伝染病研究所の所長となり、伝染病予防と細菌学の研究に取り組んだ。
1894年には香港で蔓延したペストの原因調査のため現地に赴き、ペスト菌を発見する。

1914年に伝染病研究所が内務省から文部省に移管されたこと機に、所長を辞任し、あらたな医学研究機関「北里研究所」を創設した。
1917年に慶應義塾大学医学科を創設し、初代医学科長に就任する。
1923年に医師会令の法案成立を受けて日本医師会を創設し、初代会長に就任する。
参考サイト
- 北里柴三郎記念博物館:北里研究所
- くすり偉人伝No.2 北里柴三郎:日本製薬工業協会
- 北里柴三郎「熱と誠」:テルモ
この時代の世界
(この項おわり)
北里柴三郎は、現在の熊本県阿蘇郡小国町北里で代々庄屋を営む家に生まれた。古城医学所兼病院(現在の熊本大学医学部)で、オランダ人軍医マンスフェルトに師事し医学の道を志す。1874年に東京医学校(現在の東京大学医学部)に入学し、予防医学の仕事に就くことを決意。卒業後、内務省衛生局に入局した。