西暦1900年 - パリ万国博覧会/プランクの法則の発見

パリ万博

1900年パリ万博のパノラマビュー
1900年(明治33年)パリ万博のパノラマビュー
パリの地下鉄入口
パリの地下鉄入口
19世紀最後の年となる1900年(明治33年)4月14日から11日まで、パリで5回目の万国博覧会が開催された。前回の1889年の万博会場に加え、セーヌ川右岸、ヴァンセンヌの森も会場となるパリ万博史上最大規模の博覧会となり、入場者は5086万人であった。
万博の付属大会として、5月14日から10月28日にはパリでオリンピックが開催された。

美術商サミュエル・ビングが出店した店が注目を集め、店名「アール・ヌーヴォー」は、今回の万博だけでなく、この時代のフランスを象徴する美術様式の呼称となった。
グラン・パレ
グラン・パレ
この頃、ドイツやアメリカは重工業部門で目覚ましい発展を遂げたが、フランス政府は自国が優位に立てる手工芸・装飾芸術に力を入れ、これがアール・ヌーヴォーだったのである。
展示会場として、グラン・パレプティ・パレが建設され、ロシア皇帝ニコライ2世の寄付によりセーヌ川両岸を結ぶアレクサンドル3世橋が架けられた。また、当時世界最大だった高さ100メートルの観覧車「グランド・ルー・ド・パリ」が公開された。
また、電気を利用したアトラクションが用意され、全長4kmの動く歩道や電車、エッフェル塔にエスカレータが設置され話題となった。
1895年(明治28年)に世界初の映画を上映したリュミエール兄弟がシネマトグラフによる映画上映を行い、話題を集めた。

夏目漱石は、ロンドン留学の途上にパリ万博を見物した。
ロンドン公演を終えたばかりの川上音二郎一座が招かれ、川上貞奴 (かわかみ さだやっこ) マダム貞奴として出演して人気を集めた。

プランクの法則の発見

マックス・プランク
マックス・プランク
鉄は国家なり――19世紀末のドイツでは、良質な鉄を得るために溶鉱炉の温度を正確に測定する実験が続いていた。当時、光は波としての性質を持ち、波の高さがエネルギーの大きさを示し、エネルギーが大きくなる(=温度が高くなる)ほど光のスペクトルのピークが短波長寄りにシフトしていくと考えられていた。ところが、どんな公式を考えても、実験と辻褄が合わなかった。
この問題に対し、ドイツの物理学者マックス・プランクは、次の2つの仮定を置くことで実験結果に適合することを提唱した。
  • 電磁波のエネルギーは最小エネルギーの整数倍をとる
  • 最小エネルギーは電磁波の周波数に比例する
黒体放射スペクトル
黒体放射スペクトル
これを公式化したものがプランクの法則で、黒体から輻射される電磁波の分光放射輝度は、周波数 ν と温度 T の関数として次のように表すことができる。
 mimetex 
ここで、hはプランク定数、kはボルツマン定数、cは光速度である。
プランクは、きわめて小さいプランク定数の値を今日と1%しか違わない精度で報告した。
アルベルト・アインシュタイン
アルベルト・アインシュタイン
だが、エネルギーが連続ではなく離散的な値をとることは、当時の科学常識からかけ離れたもので、しばらくは受け入れられなかった。
だが、アルベルト・アインシュタインはプランク定数が光子1個がもつエネルギーであることに気づき、1905年(明治38年)に光量子仮説を提唱する。
こうして、プランク定数は量子力学の重要な定数となり、マックス・プランクは期せずして量子論の創始者のひとりに数えられるようになり、1918年(大正7年)にノーベル物理学賞を受賞。
1914年(大正3年)に第一次世界大戦がはじまると、プランクは戦争を支持し、他の科学者らとともにドイツの戦争を支援する「93人のマニフェスト」に署名した。だが、1916年(大正5年)に長男が戦死し、次男がフランスの捕虜になるなど、次第に反戦に傾いていった。
戦後、ドイツ科学の地位を守るために奔走し、1934年(昭和9年)にアドルフ・ヒトラーが総統になってからも、カイザー・ヴィルヘルム協会の会長職にとどまった。アインシュタインの追放に対してヒトラーに意見したこともあった。
1936年(昭和11年)4月、カイザー・ヴィルヘルム協会の会長職を退き、講演会や著書で政府批判を続けた。次第に言論統制が厳しくなり、ベルリンへの空襲も激しくなり、ゲッティンゲンへ疎開する。
第二次世界大戦が終わると、荒廃したドイツ科学界を立て直すため、87歳のプランクにカイザー・ヴィルヘルム協会会長職への就任が打診された。だが、占領軍はカイザー・ヴィルヘルムの名を使うことは禁じ、1946年(昭和21年)9月11日にマックス・プランク研究所と改名され、プランクは名誉会長となった。1947年(昭和22年)10月、ゲッティンゲンにて死去。
マックス・プランク研究所は21世紀に入っても物理学研究の一大中心地として、様々な画期的研究成果を挙げている。

参考書籍

表紙 宇宙を支配する「定数」
著者 臼田 孝
出版社 講談社
サイズ 新書
発売日 2022年02月17日頃
価格 1,100円(税込)
ISBN 9784065273296
万有引力の法則から相対性理論、量子力学まで、宇宙の成り立ちを説明する物理法則には、必ず「固有の値」=物理定数が登場する。物理定数とは何か?なぜ、一定の値をとるのか?その値はどう決まるのか?そして、本当に「一定不変」か?宇宙の誕生と進化を司る「究極の値」のすべてー。
 

この時代の世界

1775 1825 1875 1925 1975 1900 プランクの法則の発見 1858 1947 マックス・プランク 1905 「特殊相対性理論」の発表 1879 1955 アルバート・アインシュタイン 1916 「一般相対性理論」の発表 1889 1945 アドルフ・ヒトラー 1900 パリ万国博覧会 1889 パリ万国博覧会 1895 世界初の映画『工場の出口』公開 1864 1948 ルイ・リュミエール 1862 1954 オーギュスト・リュミエール 1898 ラジウムの発見 1895 X線の発見 1845 1923 レントゲン 1885 狂犬病ワクチンの開発 1842 1923 ジェイムズ・デュワー 1895 無線通信の実験 1874 1937 マルコーニ 1882 1920 マックス・ボルン 1895 ローウェル『火星』出版 1897 H.G.ウェルズ『宇宙戦争』出版 1828 1905 ジュール・ヴェルヌ 1912 ピルトダウン人の化石 1864 1944 ウッドワード卿 1847 1929 ランケスター 1914 1918 第一次世界大戦 1896 近代オリンピックはじまる 1819 1901 ヴィクトリア女王 1874 1939 ハワード・カーター 1909 北極点に史上初めて到達 1911 南極点に史上初めて到達 1887 シャーロック・ホームズ登場 1888 切り裂きジャック 1912 タイタニック号が沈没 1876 電話の発明 1847 1922 グラハム・ベル 1898 ファショダ事件 1905 第一次モロッコ事件 1911 第二次モロッコ事件 1918 シベリア出兵 1859 1930 アーサー・コナン・ドイル 1894 ドレフュス事件 1859 1935 アルフレド・ドレフュス 1907 英露協商 1894 露仏同盟 1895 三国干渉 1863 1937 クーベルタン男爵 1847 1931 エジソン 1900 北清事変 1894 コヒーラ検波器の発明 1905 アルセーヌ・ルパン誕生 1864 1941 モーリス・ルブラン 1862 1943 ダフィット・ヒルベルト 1904 英仏協商 1909 北極点に史上初めて到達 1876 電話の発明 1855 1916 ローウェル 1856 1920 ピアリー 1898 米西戦争 1872 1933 カルビン・クーリッジ 1903 人類初の動力飛行に成功 1867 1912 ウィルバー・ライト 1878 1930 カーチス 1887 マイケルソン=モーリーの実験 1838 1923 モーリー 1866 1936 アン・サリヴァン 1847 1931 エジソン 1880 白熱電球の商用化 1846 1919 エドワード・ピッカリング 1857 1911 ウィリアミーナ・フレミング 1839 1937 ジョン・ロックフェラー 1867 1916 夏目漱石 1914 1918 第一次世界大戦 1900 雑誌「明星」創刊 1873 1935 与謝野鉄幹 1878 1942 与謝野晶子 1862 1922 森鴎外 1885 1942 北原白秋 1898 雑誌「ホトトギス」誕生 1867 1902 正岡子規 1871 1911 幸徳秋水 1886 1912 石川啄木 1872 1896 樋口一葉 1894 1895 日清戦争 1900 北清事変 1901 八幡製鉄所が操業開始 1904 1905 日露戦争 1891 大津事件 1855 1891 津田三蔵 1890 第1回総選挙 1890 日本初の電話 1885 内閣誕生 1841 1909 伊藤博文 1890 エルトゥールル号遭難事件 1886 ノルマントン号事件 1890 教育勅語の発布 1844 1897 陸奥宗光 1884 秩父事件 1881 1884 自由党 1882 1896 立憲改進党 1883 鹿鳴館がオープン 1835 1915 井上馨 1873 三菱商会の誕生 1834 1901 福沢諭吉 1836 1908 榎本武揚 1901 田中正造が天皇に直訴 1841 1913 田中正造 1847 1913 桂太郎 1878 1933 吉野作造 1906 満鉄の開業 1837 1913 徳川慶喜 1852 1912 明治天皇 1849 1914 昭憲皇太后 1909 伊藤博文の暗殺 1889 大日本帝国憲法の公布 1879 1926 大正天皇 1913 大正政変 1840 1931 渋沢栄一 1912 ストックホルムオリンピック大会 1847 1934 東郷平八郎 1852 1931 北里柴三郎 1835 1908 西太后 1859 1916 袁世凱 1871 1908 光緒帝 1900 1901 義和団の乱 1911 辛亥革命 1853 1910 ラーマ5世 1866 1925 孫文 1875 1928 張作霖 1898 j1898-ca.xml 米西戦争 1914 パナマ運河開通 1881 1938 ムスタファ・ケマル 1877 1878 露土戦争 1867 1934 マリー・キュリー 1830 1916 フランツ・ヨーゼフ1世 1863 1914 フランツ・フェルディナント 1842 1918 アブデュルハミト2世 1868 1918 ニコライ2世 1872 1916 ラスプーチン 1905 1919 ロシア革命 1905 血の日曜日事件 1917 二月革命 1917 十月革命 1828 1910 トルストイ 1897 ツィオルコフスキーの公式 1888 1925 アレクサンドル・フリードマン 1908 ツングースカ大爆発 1857 1935 ツィオルコフスキー 1870 1924 レーニン 1911 南極点に史上初めて到達 1872 1928 アムンゼン 1912 ストックホルムオリンピック大会 Tooltip
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