西暦1890年 - 教育勅語の発布
明治天皇による勅語
1890年(明治23年)10月30日、「教育ニ関スル
勅語
(
ちょくご
)
」(
教育勅語
)が発布される。
太平洋戦争
が終わるまで半世紀にわたり、日本人の修身・道徳教育の根本規範とされてきたものである。
教育勅語は、
明治天皇
が国民に語りかける形式をとり、下記の12の徳目からなる。
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くそう(義勇)
これらは歴代天皇の遺した教えと位置づけ、国民とともに明治天皇自らこれを守るために努力したいと誓って締めくくっている。
1907年(明治40年)になると、文部省が教育勅語を英語に翻訳し、そのほかの言語にも続々と翻訳していった。教育勅語は、イギリスをはじめとするヨーロッパ各国から高く評価された。
1930年代に入ると、教育勅語は国民教育の思想的基礎として神聖化された。
各学校では、教育勅語の写しは天皇陛下の御真影とともに奉安殿に納められて、丁重に扱われるようになった。また、毎年1月1日(元日、四方節)、紀元節(2月11日)、天長節(天皇誕生日)、明治節(11月3日)の四大節と呼ばれた祝祭日には、学校では校長が全校生徒に向けて教育勅語を読み上げた。
1938年(昭和13年)に
国家総動員法
が施行されると、教育勅語はその趣旨から外れ、軍国主義を正当化するために利用された。
太平洋戦争
が終わると、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は教育勅語が神聖化されている点を問題視した。1946年(昭和21年)、文部省は「勅語及び詔書等の取扱いについて」を通達し、教育勅語を神聖的に取り扱わないこと、さらには四大節の儀式で教育勅語を読み上げることも廃止した。
翌1947年(昭和22年)、
教育基本法
(旧教育基本法)が公布・施行され、1948年(昭和23年)6月19日、衆院・参院それぞれにおいて教育勅語の廃止が決議された。
この時代の世界
1775
1825
1875
1925
1975
1800
1800
1800
1800
1800
1800
1800
1800
1900
1900
1900
1900
1900
1900
1900
1900
1890
教育勅語の発布
1890
第1回総選挙
1890
日本初の電話
1889
大日本帝国憲法の公布
1885
内閣誕生
1841
1909
伊藤博文
1830
1878
大久保利通
1880
「君が代」が完成
1886
ノルマントン号事件
1891
大津事件
1855
1891
津田三蔵
1844
1897
陸奥宗光
1884
秩父事件
1835
1924
松方正義
1881
1884
自由党
1882
1896
立憲改進党
1883
鹿鳴館がオープン
1882
講道館の創設
1860
1938
嘉納治五郎
1882
上野動物園の開園
1890
エルトゥールル号遭難事件
1877
西南戦争
1827
1877
西郷隆盛
1875
同志社英学校が開校
1875
明治天皇があんパンを食す
1873
三菱商会の誕生
1834
1885
岩崎弥太郎
1865
亀山社中
1872
鉄道開通
1871
1873
岩倉使節団
1825
1883
岩倉具視
1833
1877
木戸孝允
1869
日本初の電信線架設工事始まる
1834
1901
福沢諭吉
1868
1869
戊辰戦争
1836
1908
榎本武揚
1867
大政奉還
1828
1899
勝海舟
1837
1891
三条実美
1866
薩長同盟
1864
池田屋事件
1864
第一次長州征伐
1866
第二次長州征伐
1864
高杉晋作の決起
1846
1877
和宮
1867
1916
夏目漱石
1862
1922
森鴎外
1835
1908
西太后
1853
1910
ラーマ5世
1877
1878
露土戦争
1818
1881
アレクサンドル2世
1861
農奴解放令
1869
周期表の提案
1834
1907
ドミトリ・メンデレーエフ
1839
1881
ムソルグスキー
1840
1893
チャイコフスキー
1828
1910
トルストイ
1869
スエズ運河開通
1872
「80日間世界一周」の出版
1828
1905
ジュール・ヴェルヌ
1895
ローウェル『火星』出版
1897
H.G.ウェルズ『宇宙戦争』出版
1867
「資本論」の出版
1818
1883
マルクス
1820
1895
エンゲルス
1809
1882
チャールズ・ダーウィン
1865
メンデルの法則
1822
1884
メンデル
1860
「ロウソクの科学」講演
1866
ダイナマイトの発明
1833
1896
ノーベル
1895
X線の発見
1885
狂犬病ワクチンの開発
1889
パリ万国博覧会
1896
近代オリンピックはじまる
1860
全英オープンゴルフはじまる
1819
1901
ヴィクトリア女王
1871
ドイツ帝国の成立
1815
1898
ビスマルク
1831
1888
フリードリヒ3世
1861
イタリア王国の成立
1820
1910
ナイチンゲール
1824
1907
ウィリアム・トムソン
1866
普墺戦争
1870
1871
普仏戦争
1874
マクスウェルの悪魔
1887
シャーロック・ホームズ登場
1888
切り裂きジャック
1876
電話の発明
1865
1923
ウォレン・ハーディング
1875
神智学協会の設立
1887
マイケルソン=モーリーの実験
1898
米西戦争
Tooltip
参考書籍
教育勅語 改訂版
著者
大原康男
出版社
神社新報社
サイズ
単行本
発売日
2007年02月
価格
935円(税込)
ISBN
9784915265112
参考サイト
教育ニ関スル勅語
(Wikisource)
教育勅語
(Wikibooks)
教育勅語
:明治神宮
(この項おわり)
ホーム
ナビ
キーメニュー
アクセス回数ランキング
家庭と情報
絵日記
乗り物大図鑑
生活情報
教養
時事英語
語録
数字
年号
長さ・面積・体積
経済・価格
IT技術
プログラミング入門
Python入門
PHP
使い方
中級テクニック
日本語処理
正規表現
クラウド連携
データベース
グラフィック
セキュリティ
Apacheの使い方
JavaScript
C++でWindowsアプリ開発
文字コードの話
時刻の話
データ構造の話
プライバシー保護
最速セキュリティニュース
家庭で
職場で
外出先で
携帯電話関係
事例研究
サイバー小物
ガジェット
サイト案内
サイトマップ
ごあいさつ
リンクについて
お問い合わせ
サポート板
ホーム
>
教養
>
数字
>
年号
教育勅語は、明治天皇が国民に語りかける形式をとり、下記の12の徳目からなる。
1907年(明治40年)になると、文部省が教育勅語を英語に翻訳し、そのほかの言語にも続々と翻訳していった。教育勅語は、イギリスをはじめとするヨーロッパ各国から高く評価された。
1930年代に入ると、教育勅語は国民教育の思想的基礎として神聖化された。
各学校では、教育勅語の写しは天皇陛下の御真影とともに奉安殿に納められて、丁重に扱われるようになった。また、毎年1月1日(元日、四方節)、紀元節(2月11日)、天長節(天皇誕生日)、明治節(11月3日)の四大節と呼ばれた祝祭日には、学校では校長が全校生徒に向けて教育勅語を読み上げた。
1938年(昭和13年)に国家総動員法が施行されると、教育勅語はその趣旨から外れ、軍国主義を正当化するために利用された。
太平洋戦争が終わると、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は教育勅語が神聖化されている点を問題視した。1946年(昭和21年)、文部省は「勅語及び詔書等の取扱いについて」を通達し、教育勅語を神聖的に取り扱わないこと、さらには四大節の儀式で教育勅語を読み上げることも廃止した。
翌1947年(昭和22年)、教育基本法(旧教育基本法)が公布・施行され、1948年(昭和23年)6月19日、衆院・参院それぞれにおいて教育勅語の廃止が決議された。