
ロベルト・コッホ
コッホは、ドイツのハノーヴァーで鉱夫の子として産まれ、ゲッティンゲン大学を卒業すると、現在のポーランドのヴォルシュタインという小さな町の地区医務官として診療をはじめ、同時に種痘、死亡診断書、公衆衛生一般についての助言なども行った。
当時、ヴォルシュタインではヒツジやウシの炭疽症が発生しており、コッホは粗末な実験器具と顕微鏡を使って炭疽症の研究をはじめた。
コッホは、ウサギの眼房水を用いて炭疽菌を人工培養することに成功し、炭疽菌のライフサイクルを明らかにし、培養した細菌をウサギに接種することで炭疽症を引き起こすことができたことから、炭疽菌が病原体であることを証明した。

この手法は、のちに感染症の病原体を特定するコッホの原則として整理された。

1908年、北里柴三郎は恩師であるコッホを日本へ招き、ともに広島の厳島神社を訪れた。
当時、ヴォルシュタインではヒツジやウシの炭疽症が発生しており、コッホは粗末な実験器具と顕微鏡を使って炭疽症の研究をはじめた。
コッホは、ウサギの眼房水を用いて炭疽菌を人工培養することに成功し、炭疽菌のライフサイクルを明らかにし、培養した細菌をウサギに接種することで炭疽症を引き起こすことができたことから、炭疽菌が病原体であることを証明した。

この手法は、のちに感染症の病原体を特定するコッホの原則として整理された。
- ある一定の病気には一定の微生物が見出されること
- その微生物を分離できること
- 分離した微生物を感受性のある動物に感染させて同じ病気を起こせること
- そしてその病巣部から同じ微生物が分離されること

1908年、北里柴三郎は恩師であるコッホを日本へ招き、ともに広島の厳島神社を訪れた。
参考サイト
- 知られざるナチュラリストとしてのコッホ:予防衛生協会
- 北里柴三郎/ロベルト・コッホ「世界の先頭へ」:テルモ
- ロベルト・コッホ:日本ベクトン・ディッキンソン
この時代の世界
(この項おわり)
コッホは、コッホの原則や固定培地を使った細菌培養法を開発し、狂犬病ワクチンを開発したライバルのフランス人生化学者、細菌学者ルイ・パスツールと並んで、細菌学の父を呼ばれる。