
まず1905年、ヴィルヘルム2世は何の前触れもなくモロッコ北部のタンジールを訪問し、モロッコに門戸開放を訴える。しかし翌1906年のアルヘシラス会議でドイツの意見は聞き入れられず、フランスが勝利した。
次に1911年、モロッコで反乱が起きると、ドイツ人保護を名目に軍艦「パンター」(=写真)を派遣する。しかし、ドイツを後押しする国際世論はなく、モロッコは正式にフランスの保護国となる。
次に1911年、モロッコで反乱が起きると、ドイツ人保護を名目に軍艦「パンター」(=写真)を派遣する。しかし、ドイツを後押しする国際世論はなく、モロッコは正式にフランスの保護国となる。
この時代の世界
(この項おわり)
モロッコは鉱物資源が豊富で交通の要衝の地でもあったため、ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世は不満を抱き、二度にわたって割り込みをかける。