西暦1904年 - 日露戦争

小国日本が大国ロシアを破る
東郷平八郎 - 日露戦争
世界三大記念艦「三笠」
1904年(明治37年)2月8日、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が勃発する。
戦争は朝鮮半島と満州南部を主戦場とし、1905年(明治38年)9月5日に日露両国がポーツマス条約を受け入れ終戦する。

時代背景

19世紀末、急速に工業化を進めていたドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世は、隣国のロシアとフランスが同盟関係(露仏同盟)にあることを危惧していた。そこで、黄色人種に対する驚異を喧伝する黄禍論 (おうかろん) を利用し、ロシアにシベリア鉄道の建設を急がせ、東アジアへ目を向かせた。

そんな中、清(中国)では内乱(義和団の乱 (ぎわだんのらん) )が起き、これを鎮圧するために欧米と日本の8カ国が清へ出兵し、北清事変 (ほくしんじへん) に発展する。
こうして義和団の乱は鎮圧されたが、ロシア軍はその後も満州に駐留を続けた。
朝鮮半島の権益をロシアに侵害されることを恐れた日本は、ロシア軍に対して引き揚げを求めていたが、なかなか実行されない。一方、ボーア戦争で疲弊し、中国における権益を守りたいイギリスもまた、ロシアに脅威を感じていた。イギリスは孤立政策を一転し、1902年(明治35年)1月30日、日英同盟を結ぶ。

この頃のアメリカは工業化が進み、海外に市場を求めていた。アメリカは当時4億人の人口をほこった清に目をつけ、満州の門戸開放を迫った。
しかし満州にはロシア軍が駐留しており、これを排除する必要があった。
そこで、アメリカは満州の門戸開放をすることを条件に、日本の朝鮮半島における利権を保証するという提案を行った。

旅順攻略

1904年(明治37年)2月8日、日本軍は、三国干渉の後にロシアが租借していた旅順 (りょじゅん) に配備されていたロシア旅順艦隊を攻撃し、日露戦争が勃発する。
戦争は、朝鮮半島と満州南部を主戦場として一進一退を続けていた。日本もロシアも鉄道を総動員し、戦地へ兵士や物資を送り込んだ。

6月6日、ロシアの旅順艦隊と旅順要塞を攻略するため、乃木希典 (のぎまれすけ) が率いる日本陸軍第三軍が塩大墺 (えんだいおう) に上陸する。8月19日に要塞への総攻撃をかけるが、堅固な要塞を攻略することはできず、8月24日に攻撃をいったん中止する。
そして、旅順の西北にある丘(日本軍が203高地と命名)から要塞の頭越しに艦隊を攻撃する作戦に変更する。9月19日に203高地への攻撃を開始する。しかし、ロシア軍に阻まれ、日本軍側は2500人もの死者を出したにもかかわらず、4日後に撤退する。
このとき攻略した隣の南山坡 (なんざんは) から旅順艦隊へ攻撃することがわかった。

日本海海戦

1904年(明治37年)10月16日、ロシアはバルチック艦隊を派遣する。旅順艦隊にバルチック艦隊が合流してしまうと日本の敗戦が濃厚になるので、日本軍は旅順要塞の攻略を続けていた。
11月14日、日本は明治天皇の御前会議において、旅順艦隊撃滅を最優先にすることが決まる。11月27日、203高地の攻略が再びはじまり、死傷者は日本軍1万7千人、ロシア軍が4600人におよんだ。12月5日、ついに203高地が日本軍の手に落ち、旅順艦隊への総攻撃が始まった。

1905年(明治38年)5月27日の日本海海戦では、東郷平八郎 (とうごうへいはちろう) が率いる連合艦隊は東郷ターンによりバルチック艦隊を撃破した。バルチック艦隊の戦艦8隻を含む27隻を沈没または降伏させ、逃げ延びたのは3隻だけだった。
1905年(明治38年)1月、ロシアでは血の日曜日事件が発生した。ロシア革命の始まりである。ロシア国内は次第に混乱してゆく。一方、日本は戦争を継続するだけの体力を持っていなかった。
そこで、アメリカが仲介する形で、1905年(明治38年)9月5日、アメリカのポーツマスで講和条約(ポーツマス条約)を締結する。
ポーツマス条約では、日本に対すてロシアの賠償金の支払いなどはなく、不満を持った民衆が交番などを焼き払う日比谷焼き討ち事件が起きる。
アジアの小国が大国ロシアを破ったという知らせは、ヨーロッパの植民政策にあえぐアジア各国に勇気を与えた。
なお、日本海海戦を記念してフィンランドが東郷ビール(トーゴービール)を販売しているというエピソードが小学校の教科書に掲載されているが、これは風説に過ぎない。

ロシアの目を極東に向けるヴィルヘルム2世の戦略は失敗した。
極東進出を諦めたロシアは、1907年(明治40年)、英露協商を結ぶ。イギリスは1904年(明治37年)にフランスと英仏協商を結んでおり、これら三国協商と、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟とが対立するようになる。
これがやがて第一次世界大戦の引き金となる。

アメリカは満州の門戸開放に成功したが、やがて朝鮮半島から満州へ進出した日本軍と対立を深める。これが太平洋戦争の遠因となっている。

この時代の世界

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参考サイト

参考書籍

表紙 海の翼
著者 秋月達郎
出版社 新人物往来社
サイズ 文庫
発売日 2010年03月
価格 785円(税込)
ISBN 9784404037916
イラン・イラク戦争開始から五年後の一九八五年(昭和六十)三月七日、イラク軍は突如、三月十九日以降にイラン領空を飛ぶ航空機の無差別攻撃を宣言。自国機の乗り入れのなかった日本は、イラン国内に取り残された在留日本人の救出対策に苦慮する。タイムリミットが迫るなか、日本人の苦境を知って、救援に動いた国があった…。このトルコ政府の英断の裏には、明治二十三年(一八九〇)九月、日本訪問から帰国中に紀州沖で台風にまきこまれたトルコ軍艦エルトゥールル号遭難の悲劇があったー。百年の時空を超えた“恩返し”を描いた感動の書き下ろし長篇大作。
 
表紙 日露戦争 すっきり読める作戦・戦闘・勝利
著者 三野正洋
出版社 新人物往来社
サイズ 文庫
発売日 2010年11月
価格 733円(税込)
ISBN 9784404039330
本書は、司馬遼太郎の大作『坂の上の雲』を歴史に残る名著と評価し、こよなく愛する著者が、その「副読本」として書いた日露戦争史。司馬文学ファンならずとも必読の一書である。
 

武蔵野八幡宮

武蔵野八幡宮
武蔵野八幡宮(東京都武蔵野市吉祥寺東町1-1-23)には、日清・日露戦争の記念碑がある。
(この項おわり)
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