
バーナード星の想像図
1916年に、アメリカの天文学者 E.E.バーナードは1894年と1916年と年代の異なる2枚の写真乾板を比較していてバーナード星を発見する。全天で一番大きな固有運動をもつ恒星で、太陽系から約6光年にある。
恒星は惑星と異なり、天球における位置が変わらないと教わるが、厳密には少しずつ動いている。これを固有運動と呼ぶ。
バーナード星の固有運動は全天で一番大きく、1年間で10.3秒角も動く。約190年で月1個分を移動する。しかし、バーナード星は9.53等と暗いため、写真観測するようになるまでその存在が知られていなかった。
バーナード星の固有運動は全天で一番大きく、1年間で10.3秒角も動く。約190年で月1個分を移動する。しかし、バーナード星は9.53等と暗いため、写真観測するようになるまでその存在が知られていなかった。

E.E.バーナード
E.E.バーナードは、彼が生まれる前に父親が他界したため、生活は貧しく、十分な教育を受けられなかった。それでも幼い頃から写真に関心を示し、9歳の時には写真屋の助手となり稼ぐようになった。
19歳の時に口径5インチの屈折望遠鏡を購入し、1881年には初めて彗星を発見した。その後パトロンがつき、彗星を発見する度に200ドルの援助を受けた。バーナードは、この時期に8個の彗星を発見した。
アマチュア天文家仲間が寄付を募り、エドワードはヴァンダービルト大学に入学し、30歳で大学を卒業してリック天文台の職員となった。
19歳の時に口径5インチの屈折望遠鏡を購入し、1881年には初めて彗星を発見した。その後パトロンがつき、彗星を発見する度に200ドルの援助を受けた。バーナードは、この時期に8個の彗星を発見した。
アマチュア天文家仲間が寄付を募り、エドワードはヴァンダービルト大学に入学し、30歳で大学を卒業してリック天文台の職員となった。
1892年に木星の5番目の衛星アマルテアを発見した。これは1609年にガリレオ・ガリレイが木星の4つの明るい衛星を発見して以来の新衛星発見であり、写真によらない肉眼による最後の発見となった。
1895年にはシカゴ大学の天文学の教授となり、ヤーキス天文台の口径40インチ望遠鏡を使うことができるようになった。彼は天の川の写真を撮影し、天の川に見られる暗い領域が実際にはガスや塵の雲であり、背景にあるより遠くの恒星を隠していることを発見した。彼の死後、これらの写真集が発行され、この中で紹介されている約350個の暗黒星雲には番号が付けられ、バーナード・カタログとして現在でも用いられている。

バーナード星が大きな固有運動を示す一因は、太陽系から約6光年という比較的近距離に位置しているためだ。これは、ケンタウルス座α星系に次いで、2番目に近い。そして、太陽系に対して秒速142kmで近づいていることが分かった。約9000年後には太陽系に最接近し、その距離は約3.75光年と、ケンタウルス座α星系(約4.3光年)よりも近づく。
バーナード星は、直径約224,000km(太陽の約5分の1)の赤色矮星で、表面温度は約3,200Kと太陽よりも低いことがわかっている。
1895年にはシカゴ大学の天文学の教授となり、ヤーキス天文台の口径40インチ望遠鏡を使うことができるようになった。彼は天の川の写真を撮影し、天の川に見られる暗い領域が実際にはガスや塵の雲であり、背景にあるより遠くの恒星を隠していることを発見した。彼の死後、これらの写真集が発行され、この中で紹介されている約350個の暗黒星雲には番号が付けられ、バーナード・カタログとして現在でも用いられている。

バーナード星が大きな固有運動を示す一因は、太陽系から約6光年という比較的近距離に位置しているためだ。これは、ケンタウルス座α星系に次いで、2番目に近い。そして、太陽系に対して秒速142kmで近づいていることが分かった。約9000年後には太陽系に最接近し、その距離は約3.75光年と、ケンタウルス座α星系(約4.3光年)よりも近づく。
バーナード星は、直径約224,000km(太陽の約5分の1)の赤色矮星で、表面温度は約3,200Kと太陽よりも低いことがわかっている。
この時代の世界
(この項おわり)