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目次
トイレットペーパー買い占め騒動
紙の節約を呼びかける政府の広報に、石油が足りなくなるという不安が重なり、「紙が生産できなくなる」「トイレットペーパーがなくなる」といったうわさが広がった。当時の通商産業大臣は中曽根康弘である。

1973年(昭和48年)11月1日、大阪府の千里ニュータウンのスーパーでトイレットペーパーに客が殺到し、在庫が短時間で売り切れた。この様子がテレビや新聞で伝えられ、買いだめが全国へ拡大した。特売の行列も不安を強めるきっかけになった。
ただし、近畿地方では10月末までに別の店でも買いだめが起きており、千里ニュータウンだけを騒動の発端と断定することはできない。

紙の生産が全面的に止まったわけではなく、メーカーなどには在庫があった。それでも「今買わないと買えなくなる」と多くの人が一度に買い込めば、店への補充が追いつかなくなる。うわさを疑う人まで品切れを恐れて買いだめに加わり、店頭の不足をさらに深めたのである。
このパニック買いは、洗剤や砂糖などにも波及した。実際の供給量と、消費者が感じる不足とは分けて考える必要がある。
1973年(昭和48年)11月1日、大阪府の千里ニュータウンのスーパーでトイレットペーパーに客が殺到し、在庫が短時間で売り切れた。この様子がテレビや新聞で伝えられ、買いだめが全国へ拡大した。特売の行列も不安を強めるきっかけになった。
ただし、近畿地方では10月末までに別の店でも買いだめが起きており、千里ニュータウンだけを騒動の発端と断定することはできない。
紙の生産が全面的に止まったわけではなく、メーカーなどには在庫があった。それでも「今買わないと買えなくなる」と多くの人が一度に買い込めば、店への補充が追いつかなくなる。うわさを疑う人まで品切れを恐れて買いだめに加わり、店頭の不足をさらに深めたのである。
このパニック買いは、洗剤や砂糖などにも波及した。実際の供給量と、消費者が感じる不足とは分けて考える必要がある。
原油高騰の原因と経過
1973年(昭和48年)10月6日、エジプトとシリアがイスラエルを攻撃し、第四次中東戦争が始まった。アラブ産油国は、石油の供給を外交上の圧力として使った。
アラブ石油輸出国機構(OAPEC)のアラブ産油国は10月17日、原油生産を段階的に削減する方針を決めた。さらに、イスラエルを支援するアメリカやオランダなどへの石油禁輸が行われた。

一方、石油輸出国機構(OPEC)に加盟する湾岸産油国は、原油の公示価格を引き上げた。代表的なアラビアン・ライト原油は、10月初めの1バレル約3ドルから、10月中旬には約5ドル、1974年1月(昭和49年1月)には約12ドルとなった。約4倍への上昇は、複数回の値上げによるものである。
1バレルは約159リットル。公示価格とは産油国への税金や権利料を計算する基準となる価格で、店頭のガソリン価格とは異なる。OAPECの供給制限と、OPEC加盟国による価格引き上げを区別すると経過を理解しやすい。
アラブ石油輸出国機構(OAPEC)のアラブ産油国は10月17日、原油生産を段階的に削減する方針を決めた。さらに、イスラエルを支援するアメリカやオランダなどへの石油禁輸が行われた。
一方、石油輸出国機構(OPEC)に加盟する湾岸産油国は、原油の公示価格を引き上げた。代表的なアラビアン・ライト原油は、10月初めの1バレル約3ドルから、10月中旬には約5ドル、1974年1月(昭和49年1月)には約12ドルとなった。約4倍への上昇は、複数回の値上げによるものである。
1バレルは約159リットル。公示価格とは産油国への税金や権利料を計算する基準となる価格で、店頭のガソリン価格とは異なる。OAPECの供給制限と、OPEC加盟国による価格引き上げを区別すると経過を理解しやすい。
日本経済と世界経済への影響
石油は工場の燃料、発電、輸送、化学製品の原料などに使われる。その値上がりは幅広い製品の生産・輸送費を押し上げた。日本では狂乱物価と呼ばれる急激なインフレーションが起き、1974年(昭和49年)の全国消費者物価指数(総合)は、年平均で前年より23.2%上昇した(総務省「消費者物価指数」)。
ただし、物価高は石油危機だけで始まったのではない。1973年(昭和48年)の時点でも消費者物価は11.7%上昇しており、国内の景気過熱などによる値上がりを、原油高が一段と加速させた。

物価上昇は家計の購買力を奪い、企業の利益も圧迫した。物価を抑えるための金融引き締めも重なり、1974年(昭和49年)の日本の実質経済成長率はマイナスとなった。戦後の復興・高度成長を経た日本にとって大きな転機であり、年率10%前後の成長が続いた高度経済成長期は終わりを迎えた。
その後、企業は燃料の節約や製造工程の改善を進め、少ない資源で高い価値を生む産業を重視するようになった。電子機器などの「軽薄短小」型への転換は、こうした対応を含む長期的な変化である。

欧米などの石油輸入国でも、生産費の上昇と消費の弱まりが同時に起きた。物価が上がる一方で景気が停滞する状態を、スタグフレーションという。停滞を意味するスタグネーションと、物価上昇を意味するインフレーションを組み合わせた言葉である。
物価を抑えるために金利を上げると景気を冷やし、景気を支える政策を強めると物価高を悪化させかねない。各国は難しい政策対応を迫られた。
ただし、物価高は石油危機だけで始まったのではない。1973年(昭和48年)の時点でも消費者物価は11.7%上昇しており、国内の景気過熱などによる値上がりを、原油高が一段と加速させた。
物価上昇は家計の購買力を奪い、企業の利益も圧迫した。物価を抑えるための金融引き締めも重なり、1974年(昭和49年)の日本の実質経済成長率はマイナスとなった。戦後の復興・高度成長を経た日本にとって大きな転機であり、年率10%前後の成長が続いた高度経済成長期は終わりを迎えた。
その後、企業は燃料の節約や製造工程の改善を進め、少ない資源で高い価値を生む産業を重視するようになった。電子機器などの「軽薄短小」型への転換は、こうした対応を含む長期的な変化である。
欧米などの石油輸入国でも、生産費の上昇と消費の弱まりが同時に起きた。物価が上がる一方で景気が停滞する状態を、スタグフレーションという。停滞を意味するスタグネーションと、物価上昇を意味するインフレーションを組み合わせた言葉である。
物価を抑えるために金利を上げると景気を冷やし、景気を支える政策を強めると物価高を悪化させかねない。各国は難しい政策対応を迫られた。
変動相場制と円安
日本は1973年2月(昭和48年2月)、円の対ドル相場を一定の範囲に保つ仕組みから、市場の売買で動く変動相場制へ移行したばかりであった。
原油高で輸入代金が膨らむと、海外への支払いに必要なドルが増える。すでに悪化していた日本の経常収支に石油危機が重なり、円を売る圧力が強まった。日本銀行の研究によると、危機前の1ドル約265円から、1974年1月(昭和49年1月)には一時約320円へ円安が進んだ。

1ドルを買うのに必要な円が増えることが「円安」である。原油はドル建てで取引されるため、ドルでの原油値上がりに円安が重なれば、日本が払う円での輸入費用はさらに増える。
ただし、相場は貿易だけで決まるものではない。資金の流れ、金利、将来への予想、政府・日本銀行による為替介入も影響した。
原油高で輸入代金が膨らむと、海外への支払いに必要なドルが増える。すでに悪化していた日本の経常収支に石油危機が重なり、円を売る圧力が強まった。日本銀行の研究によると、危機前の1ドル約265円から、1974年1月(昭和49年1月)には一時約320円へ円安が進んだ。
1ドルを買うのに必要な円が増えることが「円安」である。原油はドル建てで取引されるため、ドルでの原油値上がりに円安が重なれば、日本が払う円での輸入費用はさらに増える。
ただし、相場は貿易だけで決まるものではない。資金の流れ、金利、将来への予想、政府・日本銀行による為替介入も影響した。
省エネルギーと石油備蓄への転換
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石油危機を経て、日本は省エネルギー、石油備蓄、エネルギー源の多様化を進めた。家庭の節電だけでなく、工場で使う燃料を減らし、供給が途絶えても持ちこたえられる仕組みを整える方向へ転換した。
1973年(昭和48年)には石油需給適正化法と国民生活安定緊急措置法が制定され、石油の使用制限や生活物資の価格対策を行う枠組みができた。1975年(昭和50年)には石油備蓄法が制定され、1978年(昭和53年)から国家備蓄が始まった。1979年(昭和54年)には省エネ法が制定された。
工場では排熱の回収や設備の効率化が進み、石油以外のエネルギーの利用も拡大した。危機への対応は、単なる「我慢」から、エネルギーを効率よく使う技術と制度の整備へ広がった。
工場では排熱の回収や設備の効率化が進み、石油以外のエネルギーの利用も拡大した。危機への対応は、単なる「我慢」から、エネルギーを効率よく使う技術と制度の整備へ広がった。
第二次石油ショックとの違い
第二次石油ショックは、1978年(昭和53年)末から1979年(昭和54年)にかけてのイランの混乱と石油生産の中断をきっかけに起きた。1979年2月(昭和54年2月)、ルーホッラー・ホメイニを指導者とするイラン革命によって王政が倒れた。
その後、1980年9月(昭和55年9月)に始まったイラン・イラク戦争が、石油供給への不安をさらに強めた。戦争は危機が始まった後の出来事であり、1978~1979年(昭和54年)の発生原因と同時期ではない。

原油価格は再び大きく上昇し、日本でも物価高と成長の減速が起きた。しかし、第1次の経験を踏まえた省エネ、備蓄、供給源の多様化に加え、比較的早い金融引き締めなどが働き、第1次ほどの経済・社会の混乱には至らなかった。
消費者も比較的冷静に対応し、トイレットペーパーの大規模な買い占め騒動は繰り返されなかった。被害がなかったのではなく、危機への備えによって影響を抑えたのである。
その後、1980年9月(昭和55年9月)に始まったイラン・イラク戦争が、石油供給への不安をさらに強めた。戦争は危機が始まった後の出来事であり、1978~1979年(昭和54年)の発生原因と同時期ではない。
原油価格は再び大きく上昇し、日本でも物価高と成長の減速が起きた。しかし、第1次の経験を踏まえた省エネ、備蓄、供給源の多様化に加え、比較的早い金融引き締めなどが働き、第1次ほどの経済・社会の混乱には至らなかった。
消費者も比較的冷静に対応し、トイレットペーパーの大規模な買い占め騒動は繰り返されなかった。被害がなかったのではなく、危機への備えによって影響を抑えたのである。
原油は枯渇するのか
石油は長い時間をかけてできた有限の資源である。しかし、「あと何年でなくなる」という数字は、そのまま地球上の石油が尽きる日を意味しない。
可採年数は、現在の技術や経済条件で取り出せると確認された埋蔵量を、その年の生産量で割った指標である。探査や掘削の進歩、新しい油田の発見、価格の変化によって分子が変わり、生産量によって分母も変わる。

資源エネルギー庁の「エネルギー動向(2025年6月(令和7年6月)版)」では、2020年(令和2年)末の確認埋蔵量と2020年(令和2年)の生産量から、世界の石油の可採年数を53.5年としている。これは2025年(令和7年)時点の残り時間を測った数字ではなく、2020年(令和2年)の条件に基づく計算である。
シェールオイルや超重質油の開発、回収率の改善などで、採取できると評価される量は変化する。ただし、数字が更新されることと、石油が無限に存在することは別である。

現代の課題には、資源量だけでなく、採掘費用、環境への負荷、二酸化炭素の排出、特定地域への依存もある。石油が完全になくなるまで使い続けるという考え方では、気候変動や供給途絶の問題を解決できない。
必要な供給の安定を確保しながら、省エネや再生可能エネルギーなどで化石燃料への依存を下げていくことが重要である。第一次石油ショックは、その備えの大切さを社会に示した出来事であった。
可採年数は、現在の技術や経済条件で取り出せると確認された埋蔵量を、その年の生産量で割った指標である。探査や掘削の進歩、新しい油田の発見、価格の変化によって分子が変わり、生産量によって分母も変わる。
資源エネルギー庁の「エネルギー動向(2025年6月(令和7年6月)版)」では、2020年(令和2年)末の確認埋蔵量と2020年(令和2年)の生産量から、世界の石油の可採年数を53.5年としている。これは2025年(令和7年)時点の残り時間を測った数字ではなく、2020年(令和2年)の条件に基づく計算である。
シェールオイルや超重質油の開発、回収率の改善などで、採取できると評価される量は変化する。ただし、数字が更新されることと、石油が無限に存在することは別である。
現代の課題には、資源量だけでなく、採掘費用、環境への負荷、二酸化炭素の排出、特定地域への依存もある。石油が完全になくなるまで使い続けるという考え方では、気候変動や供給途絶の問題を解決できない。
必要な供給の安定を確保しながら、省エネや再生可能エネルギーなどで化石燃料への依存を下げていくことが重要である。第一次石油ショックは、その備えの大切さを社会に示した出来事であった。
関連する出来事と人物
参考サイト
- トイレットペーパー騒動:千里ニュータウン情報館
- 1973年(昭和48年)の千里中央のトイレットペーパー騒動について:豊中市立図書館/レファレンス協同データベース
- トイレットペーパー騒動(1973/11/1木曜日):吹田市立博物館の活動に関する記録
- 石油禁輸:JOGMEC
- OAPEC石油大臣会議コミュニケ(1973年10月17日):外務省
- Economic Growth in the Middle East, 1950–72:Robin Barlow/ミシガン大学
- 長期経済統計:物価:内閣府(消費者物価の原統計は総務省)
- 気候変動枠組条約に基づく第3回日本国報告書(案)第1章:環境省
- 1974年(昭和49年)の世界経済:経済企画庁/内閣府
- 沿革 1950年(昭和25年)~:日本銀行
- 日本の為替管理の自由化と国際収支構造の変化:日本銀行金融研究所
- 1970・80年頃~:石油危機とエネルギー政策:資源エネルギー庁
- 2度のオイルショックを経て、エネルギー政策の見直しが進む:資源エネルギー庁
- 最近の金融経済情勢と金融政策運営:日本銀行
- エネルギー動向(2025年6月(令和7年6月)版):一次エネルギーの動向:資源エネルギー庁
- Climate Change:国際エネルギー機関(IEA)
(この項おわり)

石油に大きく依存していた日本では、物価高と物不足への不安が広がった。トイレットペーパーを求める行列と空の棚は、その混乱を象徴する光景となった。