同じ時間帯にフジテレビでは「カルピスまんが劇場~アルプスの少女ハイジ」を放映しており、子どもがいる大多数の家庭はハイジを見ていた。ハイジの視聴率は平均20.7%。これに対してヤマトは平均6.0%と振るわず、放送開始時に39話を製作する予定が、26話で打ち切りになってしまった。
日本人は石油ショックに打ちのめされ、『ノストラダムスの大予言』『日本沈没』がブームとなっていた。海外ロケハンを敢行し、色鮮やかなアルプスの自然を描いたハイジに対して、赤茶けた大地に錆び付いたヤマトは分が悪すぎた。ヤマトクルーは25話で放射能除去装置を受け取ると、最終26話でもう地球に帰ってくる。
だがしかし、ヤマトは終わらなかった。監督の松本零士は漆黒ではない宇宙空間を描いて見せ、そのなかをスタジオぬえによる丸みを帯びた独特なデザインの宇宙船が疾走し、宮川泰のオーケストレーションによるBGMと、阿久悠が歌詞を書き、ささきいさおが歌う主題歌が流れる――主人公の古代進、森雪、島大介は18歳、彼らを支える沖田艦長は52歳、佐渡先生は54歳。それは子どものためのテレビ漫画ではなかったのだ。太平洋戦争を生き延びた中高年と、高度経済成長の終焉にされされている若者世代が、それぞれの思いを胸にして見ることができる作品だった。アライヒロユキの言葉を借りれば、「老人と若者の『共存』する共同体が『ヤマト』である」。
ヤマトは、1975年(昭和50年)8月の日本SF大会のファン投票で星雲賞を受賞。1976年(昭和51年)1月から読売テレビで再放送が始まり、他の地域でも次々に再放送が始まり、日本テレビでは20%の視聴率を記録し、ブームに火が付いた。
同人誌の題材となり、漫画の売上が伸び、まだセルビデオはなかったがレコードの売り上げが好調で、ラジオ番組がはじまり、結果的にメディアミックスとなり、アニメーションというジャンルが国民に認知されていった。
本放映を再編集した劇場版が1977年(昭和52年)8月6日に公開された。当初、東京の4館のみの上映だったが、全国ロードショーへと発展する。
1978年(昭和53年)8月5日には劇場版第2弾『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開され、邦画第2位となる21億円の配給を叩き出す(1位は『野性の証明』)。この年、『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』が公開され、本格的なSFブームが到来した。劇場版は、2009年(平成21年)12月12日公開の『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』まで5作品が制作された。
一方、「さらば‥‥」の結末を変えたテレビ番組『宇宙戦艦ヤマト2』は1978年(昭和53年)10月14日から半年間、『宇宙戦艦ヤマトIII』が1980年(昭和55年)10月11日から半年間放映された。
その後リメイクされ、2012年(平成24年)4月7日から『宇宙戦艦ヤマト2199』の劇場公開が始まり、オリジナル・シリーズに新しい解釈を加える形で『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』がつくられ、再編集され地上波でも放映されている。
日本人は石油ショックに打ちのめされ、『ノストラダムスの大予言』『日本沈没』がブームとなっていた。海外ロケハンを敢行し、色鮮やかなアルプスの自然を描いたハイジに対して、赤茶けた大地に錆び付いたヤマトは分が悪すぎた。ヤマトクルーは25話で放射能除去装置を受け取ると、最終26話でもう地球に帰ってくる。
だがしかし、ヤマトは終わらなかった。監督の松本零士は漆黒ではない宇宙空間を描いて見せ、そのなかをスタジオぬえによる丸みを帯びた独特なデザインの宇宙船が疾走し、宮川泰のオーケストレーションによるBGMと、阿久悠が歌詞を書き、ささきいさおが歌う主題歌が流れる――主人公の古代進、森雪、島大介は18歳、彼らを支える沖田艦長は52歳、佐渡先生は54歳。それは子どものためのテレビ漫画ではなかったのだ。太平洋戦争を生き延びた中高年と、高度経済成長の終焉にされされている若者世代が、それぞれの思いを胸にして見ることができる作品だった。アライヒロユキの言葉を借りれば、「老人と若者の『共存』する共同体が『ヤマト』である」。
ヤマトは、1975年(昭和50年)8月の日本SF大会のファン投票で星雲賞を受賞。1976年(昭和51年)1月から読売テレビで再放送が始まり、他の地域でも次々に再放送が始まり、日本テレビでは20%の視聴率を記録し、ブームに火が付いた。
同人誌の題材となり、漫画の売上が伸び、まだセルビデオはなかったがレコードの売り上げが好調で、ラジオ番組がはじまり、結果的にメディアミックスとなり、アニメーションというジャンルが国民に認知されていった。
本放映を再編集した劇場版が1977年(昭和52年)8月6日に公開された。当初、東京の4館のみの上映だったが、全国ロードショーへと発展する。
1978年(昭和53年)8月5日には劇場版第2弾『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開され、邦画第2位となる21億円の配給を叩き出す(1位は『野性の証明』)。この年、『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』が公開され、本格的なSFブームが到来した。劇場版は、2009年(平成21年)12月12日公開の『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』まで5作品が制作された。
一方、「さらば‥‥」の結末を変えたテレビ番組『宇宙戦艦ヤマト2』は1978年(昭和53年)10月14日から半年間、『宇宙戦艦ヤマトIII』が1980年(昭和55年)10月11日から半年間放映された。
その後リメイクされ、2012年(平成24年)4月7日から『宇宙戦艦ヤマト2199』の劇場公開が始まり、オリジナル・シリーズに新しい解釈を加える形で『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』がつくられ、再編集され地上波でも放映されている。
参考サイト
- 『宇宙戦艦ヤマトと70年代ニッポン』(アライヒロユキ,2010年11月):ぱふぅ家のホームページ
- 『未来創造』(松本零士,2010年9月):ぱふぅ家のホームページ
この時代の世界
(この項おわり)
日本テレビでは、日曜夜19時30分から20時まで、翌1975年(昭和50年)3月30日にかけて26回が放映された。