
PC-8001

PC-8001
1978年(昭和53年)9月に発売された日立製作所の「ベーシックマスター MB-6880」は完成品で、箱から取り出してすぐ使えるもので、日本国内初の8ビットパソコンとして未来技術遺産に登録されている。
これらに遅れて登場した PC-8001 だったが、9月に発売開始されたときの希望小売価格168,000円が市場に受け入れられた。
これらに遅れて登場した PC-8001 だったが、9月に発売開始されたときの希望小売価格168,000円が市場に受け入れられた。

PC-8001
1万台近くの受注残を消化するのに半年以上を要するほどで、1983年(昭和58年)1月の販売終了までに累計25万台を出荷し、国内にパソコン市場を誕生させた。販売終了まで 168,000円の価格は改定しなかった。
日本で初めて「パーソナルコンピュータ」と呼ばれた機種でもあった。発売日開始日は諸説あるが、のちに9月28日がパソコン記念日(パソコンの日)と呼ばれるようになった。
日本で初めて「パーソナルコンピュータ」と呼ばれた機種でもあった。発売日開始日は諸説あるが、のちに9月28日がパソコン記念日(パソコンの日)と呼ばれるようになった。

PC-8001のマザーボード
1978年(昭和53年)夏頃、日本電気電子デバイス販売事業部マイクロコンピュータ販売部長の渡邊和也と設計主担当の後藤富雄を筆頭とする10人のチームで、PC-8001 の開発がはじまった。社内での開発コードは「PCX-1」だった。それまでマイコン(マイクロコンピュータ)と呼ばれていたものを、NECはパーソナルコンピュータ(PC)と呼んだ。

TK-80
NECには、1976年(昭和51年)8月に発売したトレーニングキット「TK-80」で培った協力会社との関係や、販売拠点として設置した Bit-INN などを通じて全国展開できる販売技術網があった。

秋葉原Bit-inn(1976年)
NECのデバイス部門は、インテルやザイログのCPUを解析して独自で高性能のCPUを試作したが、基板に載せシステム全体として動かすとなると、1つだけ技術が突出していても意味が無い。そこで、自社の技術力を見せつけるのではなく、最初からデファクトスタンダードを目指した。
たとえば、標準添付するBASICインタプリタも自社開発していたが、あえてマイクロソフト製品を選択した。
たとえば、標準添付するBASICインタプリタも自社開発していたが、あえてマイクロソフト製品を選択した。

MZ-80K
先行するシャープの MZ-80K は、起動後、基本ソフトを外部からローディングする「クリーンコンピュータ」方式だった。これに対し、PC-8001 では基本ソフトを ROM に書き込んでおく仕組みをとった。渡辺は、これを「ダーティーコンピュータ」と呼ぶ。
当時、外部記憶メディアといえばカセットテープが主流で、MZ-80K は基本ソフトであるBASICインタプリタをロードするのに約5分かかった。それに比べ、PC-8001 は起動後すぐに使える状態になる。これがユーザーに受け入れられた。
当時、外部記憶メディアといえばカセットテープが主流で、MZ-80K は基本ソフトであるBASICインタプリタをロードするのに約5分かかった。それに比べ、PC-8001 は起動後すぐに使える状態になる。これがユーザーに受け入れられた。

日立ベーシックマスター
だが、ソフトウェアにバグは付きものである。カセットテープであれば交換が利くが、ROM になるとそう簡単に交換できるものではない。そこで渡辺が目を付けたのがマイクロソフト社のBASICインタプリタだった。

>(右)ビル・ゲイツ, (左)西和彦 1978年
1978年(昭和53年)11月に、渡辺は米ロサンゼルスで開催された「WCCF」の視察を理由に、マイクロソフトを訪問する。当時従業員が12人しかいなかったマイクロソフトだったが、ビル・ゲイツが語るデファクトスタンダートの重要性に渡辺は気付いた。

>N-BASICの起動画面
PC-8001 は本体とキーボードが一体型だった。渡辺は、社内の大型電算機部門からの意見には耳を貸さず、計算機科学者として名を馳せていた石田晴久の助言を採り入れ、ミニコンの端末としても通用するシックなデザインとテレタイプ仕様のキーボードレイアウトを採用した。本体には、最低限必要なプリンタ、カセットテープ、CRTインタフェースしか内蔵していなかった。
PC-8001 は家庭用テレビに接続ができるが、本体よりも約5万円も高い専用CRTモニタを接続すると、160×100ドット、8色同時表できるグラフィック機能が手に入る。前述の WCCF でお披露目されたばかりの Apple II の 280ドット×192ドット、4色よりも色数が多く、表現力が豊かだった。
CRTコントローラは、銀行ATMなどのために使われていた文字表示機能しかない「μPD3301」を流用し、256パターンのグラフィックス表示用文字を定義し、擬似的にグラフィックを実現したのだ。
CPUには、Z80 互換のNEC製μPD780C-1(4MHz)が搭載され、ROM 24KB(最大32KB)、RAM 16KB(最大32KB)という仕様になった。メモリを最大にすることで、CP/Mも利用できた。

1981年(昭和56年)12月に、上位機種の「PC-8801」と下位機種の「PC-6001」が発売される。
1983年(昭和58年)3月に、後継機の PC-8001mkII が発売され、RS-232Cや5インチFDDインターフェース、拡張スロットを標準搭載。漢字表示もできるようになった。価格は123,000円。
1985年(昭和60年)1月に、後継機の PC-8001mkIISR が発売され、グラフィックやサウンド機能を強化しながら、価格は108,000円に。
PC-8001 は家庭用テレビに接続ができるが、本体よりも約5万円も高い専用CRTモニタを接続すると、160×100ドット、8色同時表できるグラフィック機能が手に入る。前述の WCCF でお披露目されたばかりの Apple II の 280ドット×192ドット、4色よりも色数が多く、表現力が豊かだった。
CRTコントローラは、銀行ATMなどのために使われていた文字表示機能しかない「μPD3301」を流用し、256パターンのグラフィックス表示用文字を定義し、擬似的にグラフィックを実現したのだ。
CPUには、Z80 互換のNEC製μPD780C-1(4MHz)が搭載され、ROM 24KB(最大32KB)、RAM 16KB(最大32KB)という仕様になった。メモリを最大にすることで、CP/Mも利用できた。

1981年(昭和56年)12月に、上位機種の「PC-8801」と下位機種の「PC-6001」が発売される。
1983年(昭和58年)3月に、後継機の PC-8001mkII が発売され、RS-232Cや5インチFDDインターフェース、拡張スロットを標準搭載。漢字表示もできるようになった。価格は123,000円。
1985年(昭和60年)1月に、後継機の PC-8001mkIISR が発売され、グラフィックやサウンド機能を強化しながら、価格は108,000円に。
参考サイト
- PC-8001:コンピュータ博物館
- ビル・ゲイツとの密会、サードパーティ戦略。いま振り返る「PC-8001」成功物語:PC Watch
- 西暦1977年(昭和52年) - Apple II 発売:ぱふぅ家のホームページ
- 西暦1982年(昭和57年) - PC-9801発売:ぱふぅ家のホームページ
- 『スティーブズ』(うめ/松永肇一,2014年11月)
- 『ザイログZ80伝説』(鈴木哲哉,2020年08月)
この時代の世界
(この項おわり)
1978年(昭和53年)12月に発売されたシャープ「MZ-80B」は半完成品(セミキットモデル)だった。