
1971年(昭和46年)7月20日に、東京・銀座4丁目の銀座三越の店内にハンバーガー・チェーン「マクドナルド」の日本での1号店がオープンした。ハンバーガーは1個80円だった。
東京大学在学中の1950年(昭和25年)に輸入雑貨販売店「藤田商店」を設立した藤田田は、米マクドナルドからフランチャイズ券を獲得し、子会社の日本マクドナルド株式会社を設立する。米マクドナルドが製造と販売のマニュアル・技術を提供し、後者がマネージメントを提供し、出資率は折半、社長以下全社員が日本人で、ロイヤリティは双方とも1%という取り決めをした。
米マクドナルドは、売国と同様な郊外型の店舗で展開するよう、交通量の多い神奈川県茅ヶ崎市を希望したが、藤田は「流行は銀座から始まる」として銀座通りに面した銀座三越1階への店舗開設を押し通した。

初日の売り上げは約40万円で、目標の100万円に遠く及ばなかった。
銀座通りでは、1年前から日曜日と祝日の「歩行者天国」が始まり、多くの人が行き交っていた。ハンバーガーの立ち食いは当初、行儀が悪いと批判する声もあったが、8月に入ると、歩行者天国を歩く若者が次々に店を訪れるようになった。

この店舗は、1984年(昭和59年)11月4日に閉店した。
米マクドナルドは、売国と同様な郊外型の店舗で展開するよう、交通量の多い神奈川県茅ヶ崎市を希望したが、藤田は「流行は銀座から始まる」として銀座通りに面した銀座三越1階への店舗開設を押し通した。

初日の売り上げは約40万円で、目標の100万円に遠く及ばなかった。
銀座通りでは、1年前から日曜日と祝日の「歩行者天国」が始まり、多くの人が行き交っていた。ハンバーガーの立ち食いは当初、行儀が悪いと批判する声もあったが、8月に入ると、歩行者天国を歩く若者が次々に店を訪れるようになった。

この店舗は、1984年(昭和59年)11月4日に閉店した。
参考サイト
- 日本マクドナルド 50年の歴史:日本マクドナルド
この時代の世界
(この項おわり)