
リー・クアンユー
20世紀半ば、マレーシアでは、マレー人と、イギリス植民地時代に流入した華僑との間の対立が激化し、ラーマン首相は両者の宥和は不可能と判断し、シンガポール人民行動党(PAP)のリー・クアンユーが合意し、1965年(昭和40年)8月9日にシンガポール共和国として分離独立する。
19世紀初頭、マレー半島はイギリスの植民地であったが、1941年(昭和16年)に日本軍がマレー作戦で上陸し、翌年、マラヤと北ボルネオが日本の軍政下に入る。
1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結を受け、マラヤと北ボルネオはイギリスの支配下に復帰するが、民族自決の気運が高まり、イギリスに対するゲリラ活動を展開し、1957年(昭和32年)にマラヤ連邦として独立する。トゥンク・アブドゥル・ラーマンが初代首相に就任する。
だが、イギリス植民地時代に流入した華僑の活動で、シンガポールは1958年(昭和33年)にイギリスの自治領に戻る。
1963年(昭和38年)にマラヤ連邦、ボルネオ島のサバ・サラワク両州とともに、マレーシアを結成するが、マレー人優遇政策を採ろうとするマレーシア中央政府との溝は埋まらず、1964年(昭和39年)7月21日に、マレー系のデモ隊と中国系住民が衝突し死傷者を出す騒ぎとなった。
ラーマン首相は、シンガポール人民行動党(PAP)のリー・クアンユーと協議を重ね、マレーシアから追放する形で、1965年(昭和40年)8月9日にシンガポールと首都とする都市国家・シンガポール共和国が成立した。

2020年(令和2年)時点で、シンガポールの面積は719.2km2、人口は585万人。公用語は、英語、マレー語、中国語、タミル語。
1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結を受け、マラヤと北ボルネオはイギリスの支配下に復帰するが、民族自決の気運が高まり、イギリスに対するゲリラ活動を展開し、1957年(昭和32年)にマラヤ連邦として独立する。トゥンク・アブドゥル・ラーマンが初代首相に就任する。
だが、イギリス植民地時代に流入した華僑の活動で、シンガポールは1958年(昭和33年)にイギリスの自治領に戻る。
1963年(昭和38年)にマラヤ連邦、ボルネオ島のサバ・サラワク両州とともに、マレーシアを結成するが、マレー人優遇政策を採ろうとするマレーシア中央政府との溝は埋まらず、1964年(昭和39年)7月21日に、マレー系のデモ隊と中国系住民が衝突し死傷者を出す騒ぎとなった。
ラーマン首相は、シンガポール人民行動党(PAP)のリー・クアンユーと協議を重ね、マレーシアから追放する形で、1965年(昭和40年)8月9日にシンガポールと首都とする都市国家・シンガポール共和国が成立した。

2020年(令和2年)時点で、シンガポールの面積は719.2km2、人口は585万人。公用語は、英語、マレー語、中国語、タミル語。
この時代の世界
(この項おわり)