カシオ計算機 14-A

カシオ計算機 14-A

カシオ計算機 14-A
14-A は入力に、現代と同じテンキー方式を採用しているという特徴があった。それまでの機械式計算機や、後述する電卓は、各桁の0~9の数字を用意したフルキー方式だった。テンキーの右下には小数点があり、5桁の数字を3組まで記憶できるX、Y、Zの3つのキーが備わっている。国立科学博物館、米国スミソニアン博物にも収蔵されている歴史的な計算機だ。

樫尾俊雄
早川電気工業 CS-10A

早川電気工業 CS-10A
1964年(昭和39年)に、早川電気工業(のちのシャープ)は日本初の商用電卓「COMPET CS-10A」を発売する。
数字入力はフルキー式、表示はニキシ管による20桁表示。ゲルマニウム・トランジスタ530個とダイオード2,300個を含む約4,000点の部品からなり、大きさは420×440×250mmで、重さは25kg。演算時間は、毎秒加算80回、減算60回、乗算2.5回、除算1.2回だ。定価は53万5000円と、当時の大衆向け乗用車と同じ値段だった。
数字入力はフルキー式、表示はニキシ管による20桁表示。ゲルマニウム・トランジスタ530個とダイオード2,300個を含む約4,000点の部品からなり、大きさは420×440×250mmで、重さは25kg。演算時間は、毎秒加算80回、減算60回、乗算2.5回、除算1.2回だ。定価は53万5000円と、当時の大衆向け乗用車と同じ値段だった。

早川徳次とCS-20A
徳尾錠というベルトのバックルを発明した早川徳次は、1912年(明治45年)に東京都本所区(現在の江東区新大橋)に工場を設け、1942年(昭和17年)に早川電気工業に改名した。
1960年(昭和35年)9月に若手社員を中心に約20人のメンバーを集め、新分野研究チームとして半導体研究室と回路研究室を発足させた。回路研究室の計算機グループでは、コンピュータ技術を基礎から学ぶため、当時、計算機理論の権威と言われていた大阪大学工学部の尾崎弘研究室や喜多村善一研究室に通い、新分野の基礎研究に努めることとした。
1960年(昭和35年)9月に若手社員を中心に約20人のメンバーを集め、新分野研究チームとして半導体研究室と回路研究室を発足させた。回路研究室の計算機グループでは、コンピュータ技術を基礎から学ぶため、当時、計算機理論の権威と言われていた大阪大学工学部の尾崎弘研究室や喜多村善一研究室に通い、新分野の基礎研究に努めることとした。
この基礎研究の成果は、1962年(昭和37年)7月から9月にかけて小規模の実験用電子式コンピュータの HAYAC-1 とリレー計算機を用いた伝票発行機 CTS-1 となって結実した。
しかし、通商産業省が国策として進めていたコンピュータ開発は、日立製作所、富士通、日本電気、電気、沖電気、東芝の6社が指名されていた。
そこで、そろばんのように「いつでも・どこでも・だれにでも」使える小型計算機の開発へシフトした。英国 Bell Punch社の世界初の電卓「ANITA Mark VIII」を輸入して解析した。そして、1964年(昭和39年)に完成したのが、COMPET CS-10A である。ANITA Mark VIIIより高性能であるが、重量も消費電力も大きくなった。

なお、トランジスタを使った電卓という意味では、1963年(昭和38年)に大井電気が試作した「アレフ101」が日本初の電卓である。
しかし、通商産業省が国策として進めていたコンピュータ開発は、日立製作所、富士通、日本電気、電気、沖電気、東芝の6社が指名されていた。
そこで、そろばんのように「いつでも・どこでも・だれにでも」使える小型計算機の開発へシフトした。英国 Bell Punch社の世界初の電卓「ANITA Mark VIII」を輸入して解析した。そして、1964年(昭和39年)に完成したのが、COMPET CS-10A である。ANITA Mark VIIIより高性能であるが、重量も消費電力も大きくなった。

なお、トランジスタを使った電卓という意味では、1963年(昭和38年)に大井電気が試作した「アレフ101」が日本初の電卓である。

早川電気工業 CS-20A
早川電気工業は、1965年(昭和40年)に「CS-20A」を発表する。シリコントランジスタを採用し、入力は現在の電卓と同じテンキー式となり、重さは16kgに軽量化。定価は37万9000円。
その後も「安くて、軽くて、小さい」電卓への追求は続き、1967年(昭和42年)にはMOS ICを採用した「CS-16A」を発売。重さは4kgとなり、定価は23万円。
その後も「安くて、軽くて、小さい」電卓への追求は続き、1967年(昭和42年)にはMOS ICを採用した「CS-16A」を発売。重さは4kgとなり、定価は23万円。

カシオミニ
一方のカシオ計算機は、半導体導入に乗り遅れはしたものの、1972年(昭和47年)8月に、表示を6桁に絞ることで、重さ315グラムまで軽量化した「カシオミニ」を発売。1万2800円という低価格で業界に衝撃を与えた。「答一発、カシオミニ」のキャッチフレーズで知られるテレビCMも話題となり、これまで企業で使われいた電卓が家庭に浸透していくこととなる。
発売後10ヶ月で100万代、シリーズ累計1000万代を売り上げる大ヒット商品となり、2008年(平成20年)には未来技術遺産に登録された。
発売後10ヶ月で100万代、シリーズ累計1000万代を売り上げる大ヒット商品となり、2008年(平成20年)には未来技術遺産に登録された。
参考サイト
- 樫尾俊雄発明記念館
- 情報処理技術遺産 CS-10A:コンピュータ博物館
- シャープの歩み:シャープ
この時代の世界
(この項おわり)
14桁の四則演算(小数計算可能)ができる最初の計算機ということから、14-Aと命名された。
定価は48万5千円と機械式計算機より高価だったが、その圧倒的な性能から、大手銀行を中心に導入されていった。